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プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』

[2010/08/27]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
「猫足大好き」さんからのレポートが届きました。今回の訪問地は「池島」でございます。ここは、猫足大好きさんの故郷でもあるんですね。

今回は新しい趣向として、猫足大好きさんのレポートに併せて、池島を2回に分けてご紹介してみようと思います。
La Belle Equipe!事務局


◎ 池島

池島は、西彼杵半島の西沖合約7kmに位置し周囲約4kmの島。その池島といえば炭坑で栄えた島でもあります。三井松島産業の子会社である松島炭鉱により1959年より出炭を開始し、日本経済を支えてきました。島特有の水不足の問題にも日本初の海水淡化装置を作り解消するなど様々な努力と繁栄がありました。しかし、時代の流れと共にエネルギーが石炭から石油へと移ったことにより、経営が悪化。炭坑としては、九州最後(日本で最後から2番目)まで残った池島炭坑も、42年間続いた炭坑の歴史に2001年11月29日終止符を打ち、閉山に追い込まれてしまいました。最盛期(1985年)には150万トンを超える石炭を採出し、42年間での総出炭量は4,400万トン、坑道延長は約96km、鉱区約35,500haとなっています。閉山後は「炭坑技術海外移転事業」を行い、現在でもインドネシア、ベトナム人など年間約60人を技術伝承の為、ここ池島で働いています。

◎ お時間ありましたらご覧ください。当時の池島の元気な子供たちの映像です。

昭和四十年代前半頃。池島の子供達の様子です。池島小学校や幼稚園、愛育園などを収録。


昭和42年頃。この頃は活気に満ち溢れていた時代です。


ということで。。。猫足大好きさんにバトンタッチです。
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
『猫足大好きのレポート提出』

久しぶりに池島に行ったので現在の姿をレポートします。

ちなみに今回は仕事だったので、ライオン君は一緒に行けませんでした。


上の写真は、「池島の玄関口」フェリー発着場から湾の奥を見たところです。

(この写真はちょうど、石炭を船積みしていた場所ですね。今でも殆どそのまま残っているようです。:L.B.E!事務局)
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
今度は反対に「湾の奥から入り口の方を見たところ」です。
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
港地区のアパート群。
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
上の2枚の写真は、山手地区のアパート群。
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
これは池島で一番高い8階建ての高層アパート群。
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
手前の長い建物が小学校で、後にチョット見えているのが中学校です。

ちなみに小学校校舎の幅は100m以上もあり、最盛期には全校生徒1,200名以上も居ました。

(遠足では、学校からゴルフ場まで行くのですが、この頃は先頭が到着しているのに、最後尾はまだ学校!なんてこともあったという猫足大好きさんからの話も。。。笑:L.B.E!事務局)
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
かつての商店街も、完全なシャッター通りになっていました。(寂しい・・・)
長崎市:池島 『池島を訪ねて。①』
郷地区と呼ばれていた住宅地区で、昔は商店や寿司屋、パチンコ屋もありました。


(最盛期からすると、以前ご紹介した高島も同じですが、高層アパートなど空き家が多く静かになっていますね。炭坑閉山に伴い一気に人がいなくなるのが炭坑閉山での特徴でしょうか。。。:L.B.E!事務局)

次回は、現在の炭坑関連施設等をご紹介いたします。