アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

日本で最初は長崎!【池島の水】

[2009/02/17]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
日本で最初は長崎!【池島の水】
今回は、池島。

池島と言うと、閉山になった「池島炭鉱」がまず頭に浮かびます。そんな池島には、画期的な日本初のシステムが取り入れられていたのです。

キーワードは、「水」!

*以前、Liboでご紹介したネタのリニューアルです。ネタ元は猫足大好きさんです。

池島には、炭鉱で働く沢山の人々やその家族に対して、水を溜める貯水池などがありませんでした。

その為、池島炭鉱で働く人々を支えてきたある装置が試験的に設置されました。それは、海水を真水に変えて、生活用水として作るシステムといえる物で、それが日本で始めて導入されたのが池島なのです。

「海水を真水に変える!その装置とは!?」

この装置は、当時としては本当に画期的な物で、炭鉱の島「池島」だったからこそ実現することが可能だった!とも言えるでしょう。

今回は、池島の「水」をテーマとしてご紹介します。
○ 池島の水

池島は、外海町(神の浦)沖の海の真ん中にある小島で、炭鉱で栄えた時は島一杯に建物が建っている島だったんです。もちろん、貯水池などを造る場所などなく、生活用水の確保には多大な資金が必要だったのです。

そこで、(株)ササクラが開発した「海水を蒸留して真水に変えるプラント(海水淡化プラント)」を日本で始めて試験的に導入し、海水を真水にすることに成功したのです。
日本で最初は長崎!【池島の水】
○ 江戸時代の海水淡化装置「ランビキ」

(株)ササクラのHPによると、海水淡水化技術は、正確ではないにしろ紀元前350年頃に古代ギリシャのアリストテレスが塩水を真水に変える実験を行ったという記録があり、日本においては江戸時代の初めに船乗りが「ランビキ」と呼ばれる海水淡水化装置を考案したと書かれているそうです。

この「ランビキ(ポルトガル語アランビックを語源とし蒸留の意)」は、釜に海水を入れて火にかけ、釜の蓋に竹筒を差しその上に樽を載せ、その上に更に海水を入れた鍋を置くというもの。原理としては、火で煮立てられた海水の蒸発する蒸気が竹筒を通って上の樽に入る。その蒸気は樽を覆っている海水の入った鍋によって冷やされ真水になり、その真水がもう一つの竹筒を通って外にある樽に真水が溜まると言う物。樽を覆っている海水の入った最上部の鍋はその蒸気によって温められる為、その温まった海水をまた最下部の樽に入れて沸騰させるという無駄のない仕掛けだった。

昔の人は、すでに排熱利用の海水淡化装置なるものを開発していたそうなんですね。凄い!


○ 海水淡化装置

昭和41年(1966年)9月、長崎県松島炭鉱池島鉱業所に日本で初めて設置されたササクラ製海水淡水化プラント。この装置は、 1日に2,650トンの真水を造る能力があり、工業用水や島民の生活用水のすべてを賄う水源として利用されていました。昭和41年に運転開始して以来、約36年の間、能力低下することなく、島民の生活の為に生活用水を提供し支え続けていました。お湯を沸かす為の燃料(石炭)が豊富な池島だからこそ実現したものである!とも考えられますね。

この装置で出来てくるできたての真水は、温度が高いのが特徴でした。その為、水をみんなが利用する時間帯の特に朝と夕方には、消費量が上がるため冷却が間に合わず生ぬるい水が出ていたそうです。冬場には、これは重宝されたそうで、温かい水(生ぬるい)が出ていたので、朝に顔を洗う時に冷たくなくてよかった!なんて話も伺いました。気になる水の味は?というと、蒸留された水なので味気ないものだったとか(笑)。また、蒸留の中途で発生する蒸気が暖房や湯沸しなどのエネルギー源としても使用されていたとのことで、島の側溝からは湯気がでていて温泉町のようだったそうです。一つの風物詩だったんでしょうね。
日本で最初は長崎!【池島の水】
○ 池島鉱閉山

2001年11月29日午前6時半すぎに最後の採炭を終え「池島鉱閉山」。

炭鉱が無くなった現在この海水淡化装置はお役ご免となり、本土からの水の供給となっているそうです。現在の水の供給はというと、2002年4月以降は、海底送水管の敷設が完成するまで外海町から船で輸送。また、会社の発電所から排出される蒸気を利用して沸かしていた共同浴場は、重油ボイラーにより四カ所を三カ所に減らし町が運営したそうです。しかし、入浴は有料となっています。

話は変わりますが、池島鉱閉山の僅か2ヶ月後の2002年1月30日、日本最後の炭鉱となった網走の「太平洋炭鉱」も閉山し、日本から炭鉱がなくなってしまいました。

時代の流れとは言え、寂しい気持ちになりました。