アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

平戸市:生月島 ③

[2010/04/19]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
平戸市:生月島 ③
鷹の巣トンネルを抜けるとそこは「サンセットウェイ」と呼ばれる道です。生月島西海岸の海岸線を走る素晴らしいドライブコースです。

そこから見る景色はとにかく素晴らしい。北海道に次ぐ海岸線が長い長崎県でも、屈指の眺めがよい道路だと言えるでしょう。
平戸市:生月島 ③
鷹の巣トンネルを抜けたところにある鷹の巣展望台からみる景色はこれもまた格別。切り立った岩山などを見ていると、10年ぐらい前に行ったハワイ島の北部辺り(ジュラシックパークなどの撮影に使われた所)を思い出します。

水平線に夕日が沈む時間にここをドライブすると。。なんて考えるとこれはタマラナイ眺めになるんでしょうね。
平戸市:生月島 ③
そんなサンセットウェイをひた走り、塩俵で東海岸の道と合流。そこには塩俵の断崖があります。その断崖を見てみると、不思議な形でした。ちょっと立ち寄ってみる価値ありですね。この塩俵の断崖は、長崎県指定天然記念物にも指定されています。

◎生月島塩俵の断崖の柱状節理

『生月島は、南北約10km、東西(最大幅)3.8kmの細長い島で、新第2紀(約2,500万年前~約200万年前)に「平戸層群」(約1,500万年前)の上に「松浦玄武岩」(約800万年前)が重なった溶岩台地です。柱状節理は、溶岩流が厚い部分に発達する場合が多く、玄武岩の柱はほぼ垂直で、さらに水平に亀裂が生じてくる。当地の姿や断面5~7角形の蜂の巣状の俵を重ねた様は、これらを物語るものです。本節理は県内でも代表的なもので、南北に約500mの長さと海面から約20mの高さの規模をもち、景観的にも優れ貴重なものです。:(塩俵の断崖にあった案内文より転記)』
平戸市:生月島 ③
そこになにやら説明看板が。。

◎生月町指定史跡『御崎浦鯨組納屋場跡(S46.3.29指定)

『享保14年(1729)益冨又左衛門正勝が、この地に、舘浦で営んでいた鯨組を移した。この一帯を石垣で囲い、網納屋、鍛冶網大工樽等の納屋、赤身納屋、東蔵尾羽毛蔵、苧蔵、塩蔵大納屋、道具納屋、油壷場、小納屋、小納屋蔵、骨納屋、勘定納屋、大工納屋、米倉、新筋蔵、艪納屋、油貯小倉、油貯六間倉、荒物貯八間倉等各一宇、筋納屋二宇、羽差納屋一宇、加子納屋三十宇、轆轤八箇等があり、海岸に鯨の解体場、船引揚げ場があり、当時の大工場であり日本最大規模の捕鯨基地でもあった。享保18年に鯨の網取法を導入してからは、少し離れた古賀江の海岸に網干し場を設けている。

天明8年(1788)絵師、司馬江漢は生月の益冨家に1ヶ月滞在し、この間この地を訪れて捕鯨その他をスケッチしている。又、明治24年には、幸田露伴が、この地や羽差などをモデルとして、小説「いさなとり」を発表した。

捕鯨不振により文久元年(1861)基地は閉じられた。

H3年3月25日設置
生月教育委員会』
平戸市:生月島 ③
道には牛の姿もありました。平戸牛でしょうか。。。

そして、そこからすぐ先には、生月島最先端にある「大バエ灯台」があります。ここから見る景色は、絶景です。。。

という訳で。。。次回につづく。。。(笑)