○ 蒸気機関車「アイアン・デューク号」トーマス・グラバーは、1865年(慶応元年)に上海博覧会に出品されていた英国製の蒸気機関車「アイアン・デューク号」を買い取り、客車2両(3両とも言われている)を引かせて、長崎(現在の市民病院前)~大浦海岸(現在の大浦川)までの約600mの線路を敷設して走らせました。
大きさとしては、思ったよりも小さなものだったみたいです。遊園地の汽車ぐらいだと例えている方もいるぐらいです。しかし、長崎っ子たちは、はじめて黒煙を吐いて走る蒸気機関車を目の前で見たときは、さぞや驚いたことでしょう。また、この「アイアン・デューク号」の名前は、当時の英国の将軍のウェリントン公爵のニックネームだったそうで、「英国艦隊のアイアン・デューク号」もあります。また、この当時は、蒸気機関車ではなく、「陸蒸気」と呼ばれていたそうです。
蒸気エネルギーを動力源に利用したことによって起きたイギリスの産業革命。日本には、蒸気船と同じ時期に入った新しい産業エネルギー。この産業革命の産物である産業エネルギー「蒸気エネルギー」が日本に最初に入ってきたのが長崎であると言いきってよいほどの出来事だったんですね。
長崎市民病院前には、記念碑と紹介プレートがあります。ぜひ、日本で最初に人を乗せて走ったといわれ、日本の産業革命発祥の地?ともとれるこのスタート地点を確認してみてはいかがですか?