アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

ライオンの記憶【フランス車の迷走・合併の時代 Vol.1】

[2008/12/17]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
ライオンの記憶【フランス車の迷走・合併の時代 Vol.1】
アルマン・プジョーから、プジョーの自動車の歴史が始まりましたが、いつも順風満帆なものではありませんでした。その時代の中には、非常に困難を極めた時代もあり、吸収合併など様々な生き残り戦略を打ち出した時代でもあります。今回は、そんな時代、1950年代後半から1970年代までのフランス車メーカーの激動の時代をご紹介します!

今回は、誠に申し訳ありません。文字ばかりの記事となってしまいました。
この時代をご理解頂くと、現在プジョーのバイクになぜ大型車が現在無いのか?シトロエンとプジョーの関係など、さまざまな歴史背景がご理解いただけるものと思います。是非、よろしくお付き合いください。
1950年代末、シトロエンの将来に対し、危機感を持ったミシュランは、フィアットへシトロエンを売却することを検討します。この事は、プジョーにとって深刻な問題として捉えています。それは、崩壊を避けるために国際的視野を持たなければならないということを痛感させられたからだと言われています。

シトロエンシトロエンがフィアットに買い取られるということになれば、プジョーにとっては、国内競合会社が1つ減るということになるが、国際市場で巨大なライバル会社が現れると言うことになり、プジョー首脳陣にとって、決して良いことではなかったからです。プジョー首脳陣は、'50頃からシトロエンとの合意が有利ではないかと考えていました。

プジョーの発注先であるミシュランの後押しがあったかどうかは判りませんが、シトロエンは、数回に渡り、ソショーの首脳陣と接触しています。その結果、1963年11月15日に協力に関する機密合意書が署名されています。最初の合意は、原材料・共通メカの購入に関するものでした。そして、その後には共通の機械部品製作のための会社(ソシエテ・オキシリエール・ドゥ・ファブリカシオン・オートモビル)を設立しています。しかし、シトロエンとマネージング・ディレクターのピエール・ベルコが、プジョー社の吸収を計った為、協力関係に関する合意が存続した一方で、1965年末には交渉が正式に決裂しています。そして、プジョーは、その後にはルノー社と様々な形で協力関係を結ぶことになります(1966年、機械部門についての合意など)。

一方、シトロエンはというと、状況は悪化の一途をたどります。そして、1968年10月には、フィアットとの協力関係を表明するコミュニケが発表されます。ミシュランの説得にもかかわらず、プジョーは、このことを政府に通告。ミシュランは、シトロエンの損益に非常に苦しめられていたこともあり、迅速に対応を迫られていたのも事実です。しかもフィアットがシトロエンを100%その傘下に吸収するつもりであることが明白になり、ミシュラン側はシトロエンとの話し合いを切に成功を願っていたものの、シトロエンの独自性が守られることをあくまで要求し、1972年にはついに交渉が決裂することになります。

その結果、シトロエンの財政状態は悪化をたどり、ついには1974年4月にミシュランは財政当局に5億フランの赤字を報告することになります。結果的には、シトロエンを売却する以外に方法が無くなります。その時の、唯一ともいえる買い手は、プジョーのみだったそうです。
ライオンの記憶【フランス車の迷走・合併の時代 Vol.1】
1974年6月26日、ルノー・プジョー共同会議が開かれます。その席で、プジョーのフランソワ・ゴーチエは、シトロエンの買収をルノーのピエール・ドレフュスに告げます。この事は、事後承諾となった形となり、ルノーにとって、たいへん不快なニュースでした。その為、それを期に、ルノーとプジョーの関係は次第に離れていくことになります。

プジョーによるシトロエンの買収により、ミシュランはプジョーに9.5%の資本参加をすることを可能にしました。10億フランともいわれる政府借款は、1977年12月、予定より1年も早くプジョーによって完済されます。これは、すでに買収以前にミシュランが迅速にいくつかの内容を決定していたことと、プジョーのシトロエン社の建て直しが迅速に行われたことによります。内容としては、マゼラッティの売却、危機的な状態のリジエーのヴィシー工場のS.M.の生産をストップ、ワンケルロータリーエンジン・GSビロトールエンジン計画を停止、約8千人のシトロエンの従業員の削減を敢行など、さまざまな対策がなされています。

シトロエンLNオルネーに新しく創られたシトロエン工場は、近代的な設備を持ち、ニューモデル「CX」、104クーペのボディーと2CVの2気筒エンジンから発展した「LN」などを、この工場で生産しています。フランス市場に関して見れば、新P.S.Aグループは、今までのオートモビル・プジョー社のみの19%から、34%のフランス市場でのシェアに達したことになります。経済情勢の厳しかった中、シトロエンとの統合はこうして成功していくこととなります。


次回へつづく・・・・