鹿児島で用事を済ませ、いざ!鹿児島観光と洒落こみました。(一瞬!考えました。薩摩藩家老調所家に行くかどうか。PCJの方で、ちょっと知り合いがいるものですから。。。笑)
しかしながら、まず!鹿児島と言ったらやっぱりこの方!「西郷隆盛」さんということで。。。(笑)
となると、西郷どん!と言えば、西郷隆盛銅像。。。
まず、最初に西郷隆盛さんの銅像に向かうことに。
この西郷隆盛銅像がある所は、城山公園の近くの市立美術館のところにあります。(国道10号線沿い、駐車場はありません)
この銅像は、昭和12年(1937年)5月23日に完成、高さ約8m(台石含む)で、本体5.76m、土台1.21m、築山7.27mとなっています。製作者は安藤照。渋谷の忠犬ハチ公の製作者と同じです。
この銅像、日本初の陸軍大将の制服姿の銅像で、8年の歳月をかけて製作されたそうです。まあ、西郷隆盛のお話は皆様の知りうるところだと思いますので省略させて頂くとして。。。
次に向かったのは、西郷隆盛像のすぐ近くにある「西南戦争の銃弾跡」。
パット見たところ、見逃してしまうようなもので、説明されないと解らない城壁。この穴が西南戦争勃発の時に幕府軍から攻撃された時の鉄砲の穴なんだそうです。ホント!単なるボコボコに穴が空いている石垣に見えますねぇ~。
そして、ここにも行かんといかんとですたい!(笑)
そう!城山公園へ向かいました。その途中に西郷隆盛が最後にたてこもった洞窟があります。
洞窟というより、大きな穴が2つ空いているという表現の方が正しいでしょうか。。。
この洞窟は。。。西南戦争の最後の司令部となった洞窟なんだそうです。
この洞窟は。。。
1877年(明治10)9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃がはじまり、薩軍兵士300余、政府軍4万。この洞窟を出て岩崎谷を下る途中、流れ弾にが西郷隆盛の腰にあたり別府晋介の介錯を仰いで49歳の生涯を閉じています。
夜明けを待って岩崎谷を下る前の最後に死を決した西郷が私学校の幹部たちと一緒に5日間過ごした洞窟なんです。
洞窟というより、穴でしょうか。。。2つ並んで空いていました。
また、上のお土産屋さんの横にも当時の洞窟が残っていました。その洞窟の中にはお墓が。。。
そして、その道を進むと城山公園へ。
ここから見る桜島の姿は。。。次回に続く。。(笑)