『長崎くんち』日本三大祭りに数えられる長崎市のお祭り。江戸時代から続いているお祭りでしょうか。。。
この華やかなお祭り。これだけ盛大になった理由には、「歴史的な背景」があることはご存知でしたでしょうか?
今日は、長崎くんちの歴史についてご紹介します。
○「長崎くんち」の始まり
日本三大祭りの一つと言われる「長崎くんち」は、諏訪神社への奉納踊りが有名ですが、その歴史は古く、寛永11年(1634)に奉行のすすめで行われたのが最初なんだそうです。
この頃は、キリシタンの問題があり、この祭りを盛大に行うことにより、キリシタンを根絶やしにしようとする思惑があったそうです。この頃の9月は、貿易で利益がでる時期で、長崎奉行もお金があったとか・・。また、諏訪神社の大祭日を決定するとき、重陽の節句(陰暦九月九日で、昜でいう陽の変字である「九」が2つ重なる日すなわち「重陽」といってめでたい日とされている)、菊の節句の9月9日の「くにち」が「くんち」と呼ばれるようになったそうです。
そして現在は、国指定重要無形民俗文化財(昭和54年2月3日)に指定され、毎年、10月7日から3日間に渡り、長崎市の諏訪神社の秋祭に奉納されているんだそうです。
長崎くんちは、長崎市にある59の町(以前は77町)が5~7町ごと7組に分かれて年ごとに奉納しています。その年の当番(順番?)の町を踊り町と呼んでいるんです。ですので、一般の人たちが、一つの町の踊り(たとえばコッコデショなど)を観る事が出来るのは、7年に一度という事になるんですね。
長崎くんちは毎年、前日(まえび)10月7日、中日(なかび)8日、後日(あとび)9日 の3日間で行われています。
前日には、お下り(諏訪神社に祀られている三体の神体が、大波止にある御旅所に下る)、後日には、お上り(御旅所から諏訪神社に上る)という神事が行われているのは、長崎の方ならご存知ですよね。
各踊り町は諏訪神社本宮で、踊りを奉納し、八坂町の八坂神社、大波止の御旅所、長崎市公会堂の踊り馬場 でも奉納を行います。その後に庭先回りと言われている旧市街の各企業や民家で踊り町の踊りの一部を披露しています。庭先回りをしながら、中日、後日にもいたるところで踊りの披露もしています。
一生懸命に踊りを披露されている踊り町の皆様の姿を町中でみかけると、本当に頭の下がる思いですね。
庭先回りとは、諏訪神社の奉納踊りの裾分けで、神事のご利益を分けていただけるありがたいものです。庭先回りの時の“心ざし”には、できるだけ協力したいものです。