昨日は、高島の歴史をご紹介致しました。
今日は、ちょっとそんな高島を探索です。。。
まず、長崎港からコバルトクィーンに乗って高島に向かうと、伊王島と香焼町の間を通って行きます。橋の感じもイメージできるところまで出来てますね。(あれ?途中で工事止まっている???)
高島の港に降り立ったところに、まず目に入るのが炭坑資料館でしょうか。。。その資料館の道の前にある公園に岩崎彌太郎の銅像がありました。
岩崎彌太郎がなぜこの地に銅像として残っているのでしょうか?
それは、グラーバーと佐賀藩との合弁で作られた高島炭坑は後藤象二郎に買い上げられたがうまくいかず、その後、岩崎彌太郎に譲渡(1881年:明治14年)されています。その結果、岩崎彌太郎(三菱)により、本格的な採炭作業がなされるようになることとなり、端島と共に石油に代わるまで、日本経済を支える三菱の炭坑として大いに栄えたのです。
早速、その前にある炭坑資料館に入ってみることに。。。
料金は無料!高島に立ち寄ったら、船の待ち時間にでも、ちょっと立ち寄ってもらいたいスポットですね。
資料館に入ったらすぐに日本最初の鉄製汽船「夕顔丸」の写真と説明が。。。
◎ 「夕顔丸」
1887年(明治20年)5月、三菱は長崎造船所で4番目の船として社船「夕顔丸」(206t)を建造。この船は日本最初の鉄製汽船で、当時の最先端技術で造られ、なんと!1962年(昭和37年)3月31日廃船となるまでの74年間もの間、長崎~高島~端島を1日3往復し人や石炭を運んでいます。また、救助船や曳船としても活躍した時もあったそうです。
そのパネルの裏には、高島炭坑で採掘していた石炭や石などが展示されていました。(写真は塊炭:たいへんカロリーが高く、良質な石炭と書かれていました)
外に出てみると、当時使用されていた石炭採掘に使っていた車両が数多く展示されています。
石炭を運ぶ箱車?(2t炭車)ですね。採れた石炭をこれに乗せて運んだんですね。
坑内給水車。採炭作業をしている人たちの飲み水を運んだんでしょうか。。。
坑内斜坑用人車。
恐らく2名7列?のこの車を連結して坑内の奥深くまで多くの人々を運んだんですね。
坑内バッテリー機関車。
作業用の電灯やら工具などの電気の供給を行ったのでしょうか。。。
こんな坑内で使っていた車両が目の前でじかに見ることができました。
さらに、端島(軍艦島)の模型もありました。まさに、軍艦!って感じがしますよね。
この様な展示物を一つ一つをじっくり眺めて回ると、当時の炭鉱マンの仕事ぶりが目に浮かぶようです。
そして、次なる目的地「グラバー邸」へと向かうことにしました。
次回に続く。。