高島。長崎市にある長崎港ターミナルから船(コバルトクィーン)で約30分のところにあります。高島は昔、高島・上二子島・下二子島の3つの島だったそうで、現在は埋立により陸続きとなっています。また、飛島とも防波堤により繋がっています。
今回は、長崎市高島町を探索してみようと思います。まず、今日はお決まりの?高島の歴史をご紹介致します。
◎ 高島町の歴史
高島の歴史としてはウィキペディアで検索してみると、1185年に平家の落ち武者が住みついたと言われ、1695年に石炭を発見。1710年に石炭採掘事業が本格化され、1868年トーマスグラバーと佐賀藩が合弁し、高島炭坑として本格的に稼動、1881年岩崎彌太郎(三菱)に譲渡されています。
そして、1955年(昭和30年)高島炭坑の支坑「端島(軍艦島)」が西彼杵郡高浜村より編入(合併)され、日本一人口密度が高い町(16,904人)となったものの、エネルギー需要が石油へと変化していった経済高度急成長時代において炭坑を取巻く環境は厳しくなり、1974年(昭和49年)端島炭坑(高島炭坑の支坑)がついに閉山。そして、1986年(昭和61年)11月高島炭坑も閉山となり、炭坑の歴史に幕を下ろすことになっています。
その後、日本で最も面積が小さい町、端島との合併で日本一人口密度が高い町としても知られていた高島町は人口が減り続け、2005年(平成17年)1月3日に長崎市へ編入された時には、なんと、日本で最も人口が少ない町となっていました。
現在、1997年(平成9年)飛島海釣り公園・海水浴場などをオープンさせ、観光の町へと変化を遂げようとしています。
まあ、歴史はこれくらいにして。。。
高島町なのですが、私的には高島の歴史は単なる炭坑の歴史というより、日本の文明開化の歴史とも言うべき場所がいくつか存在していると思います。
そんな高島町を次回はご紹介してみようと思います。