生月島では、キリスト教と仏教。それぞれの見どころがあります。
まず、最初にご紹介するのは。。。
生月島で舘浦の小高い丘でひときわ目立つ!大きな鎮座した観音様があります。町中から見るとその巨大さから、まず行くのに迷うことはないでしょう(笑)。
駐車場(無料)もあり、気軽に行くことができます。
◎ 生月大魚藍観音
1980年(昭和55年)に建立。坐像のブロンズ像では日本最大級の大きさ(全長が18m、台座を含むと21m)。
また、「魚藍」とは、魚を入れる籠(かご)のことで、観音様が手に持っている籠の中には「鯛?」のようなお魚が入っています。
この観音様の中にも入ることができます。観音様の中は、礼拝堂とちょっとした売店がありました。
そして、その中の写真は。。。やめときました。
神聖な場所で失礼かと思ったものですから、ぜひ、行った時には皆さんの目でご覧ください。
生月大魚藍観音の大きさはどれくらい大きいか?なんて思って調べてみました。
すると。。。その大きさは、奈良 東大寺の大仏さんや鎌倉の大仏さんをはるかに凌ぐ大きさでした。
奈良の大仏:高さ14.98m。
鎌倉の大仏:高さ12.38m。
奈良の大仏さんよりも約3mも大きい。凄いですねぇ~。間近でみると、ホント!巨大です。昭和55年に設立ということで、新しい観音様なのですが、その存在感は圧巻でした。
一方、観音様を出て、山手の方に向かうと、切支丹、ガスパル西玄可の殉教史跡「クルスの丘公園:ガスパル様」があります。
◎ クルスの丘公園 ガスパル様
『ここは、生月キリシタンの指導者だったガスパル西玄可の殉教史跡。ガスパル西玄可は1556年、平戸藩籠手田家の家臣で生月島の総奉行を務めている父の子として生まれた。2歳の時にガスパル・ヴィレラ神父から父と一緒に洗礼を受け、ガスパル西は籠手田家が大村に退去したあと、職を解かれて伝道師となった。藩主の命の背いて信仰を捨てず、信者たちの信仰を支え、洗礼を授けていたということで処刑された。ガスパル西は十字架でこの処刑を願ったが、1609年11月14日、友人であった奉行に斬首され、53歳で殉教した。
長男のヨハネ又一は、母ウルスラとともに殉教を遂げた。二男のトマス西神父は長崎・西坂の丘で穴吊りの刑で殉教(1634年44歳)。三男のミカエル加左衛門は兄トマス西に宿を提供したことにより、妻、幼児とともに処刑された。一人娘のマリアは町奉行の息子と結婚していた。しかし、信仰を捨てさせようと責められても信仰を守り通した。ガスパル西と妻ウルスラは家族全員を信仰によって導き育て神に捧げたのである。』
YouTube「生月ガスパル殉教地」より転記
隠れキリシタンの歴史。
それは、壮絶な歴史。
そんなキリシタンとして貫き通した信仰に対し、悲しくも強い心を持つ人々の気持ちが伝わってきます。
生月島に行ったら、ぜひ、立ち寄って貰いたいところをご紹介させて頂きました。
さあ!生月島のレポートは今回で終わりです。
次は、平戸島編スタートでしょうか。。。(笑)
平戸島は、ロケハンではあまり回ることが出来ませんでしたが、次回から、ちょっと立ち寄った場所をいくつかご紹介致します。ご期待ください。