久々の日本で最初は長崎!シリーズでしょうか。
今回の長崎が日本で最初!っていうものは、『ビール』です。
江戸中期に長崎の出島の通訳(オランダ人)が著している「和蘭問答」という本があります。その本によると、オランダ商人が持ってきたビールを飲んだというものがあります。これが、記録としては日本で一番古い文献となっているようです。
蘭学者たちが西洋の文化を知る為に飲んだとされるビール。果たしてどんな味だったのでしょうか?一説によれば「ことのほかあしきもの」と評価していたとか。。。
それが誰だったのかは解りませんが、「長崎では江戸中期頃には既にビールを飲んでいた人がいた!」なんてことになりますね。
では、ビールを製造したのは?ってことになりますね。
しかし、残念ながら「長崎」では無いようです。
時は文明開化の頃、1853年(嘉永6年)の黒船によるペリーの来航のときにスコッチウィスキーやらビールなどがもたらされたとの話があります。その年1853年に摂州三田(兵庫県)の医学者 川本幸民が、オランダの手引書を元にして横浜でビールの醸造を行ったという記録があるのだそうです。それが日本人によって造られた「国産ビール」の誕生と言われているんですね。江戸の露月町の私宅の庭に炉を築いて、自らビールを醸造しているようです。
また、その国産ビールが日本国内で売られるようになったのは、横浜が最初のようです。1870年にウィリアム・コープランド(米国 帰化:ノルウェー生まれ)が居住している外国人の為にビール製造(スプリング・ヴァレー・ブリュワリーという醸造所を建設)を行い、それを横浜に居留する外国人やイギリス軍の駐屯地などへ販売したのが始まりだとか。。。
そして、ビールが一般的に日本に広まっていった!ってことになるんですね。