◎ 六兵衛の由来(六兵衛茶屋にあった資料を参考にしました)
「六兵衛」とは、もちろんその名の通り「六兵衛」さんが考案したものです。(これは解り易かったですねぇ~
)
時は寛政4年(1792年)。島原普賢岳大噴火が原因となり、島原が大飢饉に陥っってしまったそうな。。。
その時に島原の名主だった「六兵衛」さんが、サツマイモを輪切りにしたものを天日干しにしてあった「コッパ」を粉にして、水を加えて練り上げ、その練り上げたものを「おろし金」を大きくしたようなもの(六兵衛おろし)を、お湯が沸いている釜の上にあてて、手で押し出して茹で上げる!というものを考案しています。これが、「六兵衛」と言われるものなのです。
もちろん!普通のうどんやそば、ラーメンなどとは違い、おろし金のような六兵衛おろしで作る六兵衛の麺は、丸い棒状の形で、長さも長くなく1本の麺の長さは5cm程度となっています。
太さは五島うどんのような細麺のうどんぐらいの大きさでしょうか。色はそばににた色なんですが、茶色っぽい感じです。明らかにそばの色とは違いますね。
そんな六兵衛の麺に、昆布とシイタケで取った出し汁をかけて食べるというものが一般的で、家庭により、小魚で出し汁を取ってみたりという島原の人たちの家庭によっていろいろなアレンジされたものがあるようです。また、この六兵衛は、太平洋戦争の時から戦後にかけて食糧難の非常食とされてもいたようです。