長崎の教会シリーズです。
上五島と言ったら、隠れ切支丹でも有名ですよね。教会群を世界遺産に!なんて活動も長崎では盛んにおこなわれていますが、歴史を調べてみると納得できるような気がします。
若松郷にも、そんな隠れ切支丹による教会がいくつか存在しているのです。
その中でも今回は『桐教会』をご紹介いたします。
◎ 桐教会(参考:教会内の看板)
この教会を見た時に、パッと目に飛び込んでくるのが「赤い屋根」。そんな桐教会は、若松瀬戸を見渡しているような感じのする教会です。
外海地区から移住してきた信徒達によって、この地に信仰が広まったそうです。明治30年(1897)に、パリ外国宣教会のフューゼ師により、中五島最初の小教区として設立され、当小教区の巡回教会だった浜串、土井ノ浦、真手の浦がその後、独立しています。
この聖堂は、昭和33年(1958)に改築されたもので、8月29日に山口大司教によって祝別・献堂されています。桐教会復活期の指導者である、下村善七・ガスパル与作親子と清川沢次郎翁を顕彰する信仰先達者顕彰碑が、教会境内に昭和46年(1971)に設立されています。
ガスパル与作(当時17歳)は、プチジャン神父の教えを受ける為、五島から初めて長崎の大浦天主堂へ参り、キリシタン復活の緒口を開いたとか。明治10年(1877)には自宅を仮の教会にし、伝導学校を開設するなど、五島各地から集まる若者達の教育にあたったそうです。
こんな若松郷の教会で、パリ外国宣教会というフランスに関係した文章に出会うとは驚きでした。
教会の正面から左を見るとこの像があります。
この像は、「信仰の先駆者顕彰碑」と書かれてあります。良く見ると、その横に碑文が書かれてありました。
碑文を原文そのままでご紹介します。
『我等の祖先は過酷な迫害に堪え信仰の遺産を守り伝えてくれた。特にガスパル与作(中央の像)は17歳で五島人として初めて大浦天主堂へ参り、キリシタン復活の緒口を開いた。
像は大浦天主堂へ参ろうと指差す姿、又、その父パウロ善七(右の像)は、相次いだ凄惨な迫害によく堪え、人々を励ましよく信仰を全うした。像は棧木攻めに合い毅然として祈る姿、台上の石は拷問の為膝にのせられたもの。み変える清川沢次郎(左の像)は伝道士として活躍、約三百人を洗礼に導いた。この外、多くのキリシタン達があらゆる迫害に堪え、信仰の光を守り続けた。ここに顕彰碑を建設し感謝の意を表すものである。1971年7月28日』
ここから見える若松瀬戸の景色は抜群ですね。それと、この教会の道向こうには、入り江が入り込んでいます。そこの入り江の海を見てビックリ!
どうですか?写真では解りにくいでしょうか?
とんでもなく!海水が綺麗なんです。
ドン深になっているこの入り江は、川のように流れていました。
何と言っていいのでしょうか?言い表す言葉が見つからない!凄く綺麗な透明度が凄い(この言葉は完全に超えてますねぇ~)海の水が間近に見ることができました。
海がきれい!海水が透き通っている!五島列島全土で見れるのですけれど、驚きの景色です。
余談ですが、この教会の先では、天然のウナギも獲ることができる(太さ5cmはありました)ようです。恐るべし!五島。。。
いかがですか?新上五島町 若松郷。
ゆっくり時間をかけて隠れ切支丹の教会めぐりなんてのも良いですね。海水浴や釣りも良いですが、時間がゆっくりと流れるようなこの地で探索してみるのも一考です。
リフレッシュできること請け合いですよ。