世界的に『電報』というものが廃止となっている現在、なぜ?日本だけが生き残っているのでしょうか?
考えてみると、現在の通信手段は固定電話から携帯電話へ、そしてメールなどにとって代わられてきています。FAXも若干押され気味ですよね。
今回は、『電報がなぜ日本では衰えないのか?』という題材でスタートです!(笑)
◎ 電報の歴史
電報と言うものが日本で初めて開始されたのは、明治2年12月25日(1869年)のこと。東京~横浜間が最初だったとか。
そして、明治4年(1871年)には、国際電報が、大北電信会社(デンマーク資本)によって長崎~上海、長崎~ウラジオストク間の海底電信線が引かれ、欧亜陸上電信線経由で国際電報が開始されています。
明治6年になると、長崎~東京間の国内電報が開始され、以後、国内各地へ電信線が急速に引かれ全国へ広がることとなりました。
昭和5年(1930年)には、写真電報サービスが開始され、日本の電報が緊急連絡用以外で使われ始めたのは昭和9年(1934年)の年賀電報が開始され、昭和11年(1936年)には、年賀電報に代わり、慶弔電報が開始されています。
昭和51年(1976年)には、至急電報(うな電)の廃止。しかhし、日本の電報は、ひらがな電報などのいろいろなサービスを提供しながら現在に至ります。
世界の電報は、現在、どのような流れなのでしょうか?
◎ 『電報』を取り巻く世界の流れ
残念ながら、電報というサービスはどんどん廃止になるような流れの様です。たとえば、平成18年(2006年)には、アメリカのウェスタン・ユニオン社(1856年開始)が電報サービスを廃止しています。その他に平成20年4月にはタイでも133年間も続いた電報サービスが採算が合わないということで廃止に追い込まれています。
廃止に追い込まれた原因としては、携帯電話の普及が大きな原因だと言われています。これは、あえて説明するまでもないですよね。手軽に連絡が取れる通信手段としてはこれ以上のものは現在存在しません。
今後も、世界各国で『電報』が生き残っていくということは難しいのかもしれません。
◎ なぜ?日本では『電報』が生き残ったのか?
アメリカのウェスタン・ユニオン社が廃止を決断した平成17年の取扱件数は約2万件だったそうです。しかし、日本のNTT電報の取扱件数は何と!約2,000万件を超える利用件数があったそうです。
なぜ?こんなにも利用されているのでしょうか?
答えは簡単ですよね。ご推測の通り、そう!日本特有の習慣ともいえる『慶弔用の電報』の存在です。その慶弔用電報サービスが開始されたのは昭和11年(1936年)。それ以来、約70年余りの間、慶弔用電報は結婚式や告別式では必ずと言っても良いほど重要な役割を果たすようになったのです。ですので、日本では通信手段と言うよりは、慶祝やお悔やみ用などの習慣として、たくましく日本の文化に溶け込んでいるからなのです。
最近は、父の日、母の日、誕生日などのイベント性や、キャラクターぬいぐるみに電報を添えて届けたりと様々なアイデア商品も登場しています。
日本人にとって、電報は通信手段としてではなく、「日本人の心を伝える手段」として、現在でも力強く、そして、これからも生き残っていくのではないでしょうか。