今日長崎では「精霊流し」が行われます。爆竹の音とともに華やかにおこなわれますようね。
では、この精霊流しはいつ頃から行われるようになったのでしょうか?
「精霊流し」は、皆さんご存じのとおり、亡くなった方の魂を俗世から彼岸に渡すという風習です。これは、日本各地でも行われている風習とも言えます。各地によって姿や形が違っても、思いは同じでしょうか。
ところで、長崎の精霊流しは独特のものですよね。華やかに見えるような船と爆竹。独特の発展を遂げています。全国の「万灯流し」「菰(こも)包みの川流し」などが長崎流となって現在の形になったのではないかという説があります。
その発祥はなんなのかと調べてみても、なかなかコレ!っていう文献には出合いませんでした。発祥の説で有力であろうと思われる説としては、江戸時代の享保年間(1716~1735)に、後の幕府天文方となる儒者の盧草拙(ろそうせつ)という人が、供物を菰で包んで流すのが亡くなった人に対して失礼ではないか?ということから船に乗せて流したのが始まりだという説がありました。
また、最初のその船は、江戸時代では「わらぶね」と呼ばれ、竹と麦わらで作られた1~2m程の船だったそうです。その船を数人で担いで練り歩いて長崎港で灯りをともして流したとされています。そして、その船が時代とともに現在のような材木で作った精霊船のようになったんだそうです。
爆竹は、中国で悪霊を振り払うとか言う意味があります。日本では塩で清めるのと同じ意味だと聞きました。
経済の発展による精霊船の巨大化の為、下に車輪をつけて市内の道路を引き回すようになった精霊船は、現在は大波止や松山などで潰して処分する船に積み込みます。ちょっと、最後に船を投げ込むような感じになるのはちょっと淋しい感じもしますが、大きさゆえに海に流すのは問題になるのでしょうがないでしょうね。
しかし、昔の灯りを灯して船を長崎港に浮かべて流したその灯りは、亡くなった方を偲ぶなんとも言えない灯りを灯したんでしょうね。