毎年8月9日は平和公園の平和祈念像の前で式典が行われます。長崎にとっては特別な日でもあります。
今回は、この平和祈念象をご紹介いたします。
ここは、私の小さい頃の遊び場でしたねぇ~。当時は、像の周りには池が無く、よじ登って遊んでました。低学年は膝まで!中学年は水平の手まで!高学年は頭の所まで!ってローカルルールも子供たちの間ではあったんです。(笑)
まあ、その為に池を作られてしまったのは言うまでもありません。本当に懐かしい思い出です。
???やっぱり当時は、悪ガキでしたねぇ~(爆)
長崎市松山町の平和公園内にある平和祈念像(へいわきねんぞう)は、北村西望(きたむら せいぼう)により、1955年8月8日に完成しています。
垂直に真上に掲げた右手は「原爆の脅威」を表していて、水平に伸ばしている左手は「平和」を表しています。また、横にした足は「原爆投下直後の長崎市の静けさ」を。立ててある足は「原爆の恐怖」を。そして、何よりこの祈念像の軽く目を閉じた顔は「原爆犠牲者の冥福を祈っている」のだそうです。
この平和記念像の高さは9・7m、台座の高さが3.9m、重さが約30tとなっています。また、天に高く突き上げられた指先には避雷針が取り付けられています。小さい頃によじ登った時に見た感じでは、指先から約30cmは出ていたと記憶しています。
この平和祈念像は当時、本体約3,000万円(国内外の募金によって賄われた)、台座約2,000万円(長崎市)の合計5,000万円の費用で約4年の歳月をかけて建設されています。
モデルは誰かと言うと、一説によれば戦後の偉大なプロレスラー「力道山」であると言われます。その隆々とした筋肉質のこの平和記念像を見ていると、確かに似ていますね。力道山は、満州から引き上げて来て、長崎の大村市(旧 東彼杵郡)に移り住んでいた為でしょうかねぇ~。
平和記念像を見ていると、子供のころと違った感覚で眺めている自分に出会えました。その他にも原爆資料館や原爆中心地などを時間があったらゆっくりとまた散歩してみたいと思います。皆さんもいかがですか?