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プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

為になるの?こんな雑学!【結婚】

[2009/06/18]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
為になるの?こんな雑学!【結婚】
6月も半ばを過ぎましたね。6月と言えばジュンブライド!6月の花嫁でしょうか。それにちなんで?今回は「結婚の歴史」なんてものをご紹介してみようと思います。

そもそも、結婚という風習?習慣?は、いつ頃からはじまったのでしょうか?
一生連れ添うのはこの人だ!と決める?のは、他の生物にとっては少ないものです。

こんな事を書いていると、「何か今に不満があるの?」って嫁さんに聞かれそうですね。

やぶ蛇にならないように、サッサと本題へ移ります。(爆)

今日は「結婚」についていろいろと調べてみることにしました。(笑)
為になるの?こんな雑学!【結婚】
◎ 日本で最初に結婚したのは?

ハッキリとこの人!なんて解るような証拠や資料は実際はありませんでした。まあ、当然の結果でしょうか(笑)

ですが、そんな中で見つけた、ちょっとした諸説を元にご紹介します。


最初に結婚というものを人類がしたのは、神話の世界まで遡るそうです。アダムとイヴと言ったところでしょうか?(笑)夢があっていいことですね。

では、日本での最初の結婚は?というと、日本神話(古事記、日本書記など)の話で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコ)の「国生み・神生み神話」の中で、オノゴロ島と言うところに、天の御柱を建て、その御柱を右回りと左回りにお互いに回って出会い、出会ったところで「なんと、かわいい娘だろう」「本当に愛しい方ですこと」と呼び合って結ばれたという話があるそうです。この話が、結婚式の起源なんだそうです。定かかどうかわかりませんが。。(笑)
◎ 日本の結婚(婚礼)の歴史・・・らしい。。(笑)

① 原始時代

原始時代の結婚は?というと、「共同婚」というもので、結婚式という儀式的なものは無かったと考えられているそうです。

共同婚 : 男女が気ままに結婚するというもので、生まれた子供は母親が育てていたそうです。そして、これが母系氏族制の始まりだとか。。。これが、男性が女性の元へ通うという形の妻問婚へ発展したのではないかと言われています。


② 古墳時代

古墳時代になると、「妻問婚(通い婚)」という形になります。

妻問婚 : 古事記、日本書紀、万葉集などの書物に記されているようで、自由恋愛による結婚だったようです。しかし、夫婦は別居しており、求婚には求婚歌などが用いられていたそうです。結婚式という形が出来上がる時代の前と言えるようです。
為になるの?こんな雑学!【結婚】
③ ~奈良・平安時代の婚礼

次第に婚礼(結婚式)と言う形をとうようになって来た時代です。結婚式と言っても、男性が女性のところへ通って3日目ぐらいに女家の人たちが餅を男性に食べさせて、男性が女家の一員となるという儀式だったそうで「三日餅」とも呼ばれているようです。これは、言わば「女家の親が婿をとる!といった婿取りの儀式」で、奈良時代ごろの農民の間で始まったとの事。

そして、平安時代には、貴族の間でも儀式化され、多様化し、そこことにより色々な諸行事が行われるようになったそうな。。。平安時代では、「源氏物語」に描かれているように、夫が妻の実家に会いに行く通い婚を経て、同居するのが一般的とされていて、夫が訪ねてこなくなれば、即離婚。夫が愛人をつくっても、どうすることも出来無かったそうです。


③ ~鎌倉時代・戦国時代

家父長制の成立に伴い、この頃から、女性の地位が低下しています。鎌倉時代になると、武士の家に、妻が嫁入りするようになっています。そして、この習慣は社会全体に広まるようになったそうです。嫁入りすることにより、極端な表現をすれば妻は夫の所有物と考えられるようになり、妻の不倫は夫への反逆として厳しく罰せられたとか。。。また、女性は夫を自分の意志で選ぶこともできなかったそうです。政略結婚という「相手と同盟を結ぶ」だとかそんな感じだったのでしょう。愛情なんてものは関係無かったのでしょうね。


④ ~江戸時代

幕府は上下の秩序を守るため『家』をすべての基礎としています。女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従うという、「三従の教え」があり、低い地位におかれています。また、子どもが生まれない妻は、離婚されても文句は言えなかったそうで、妻が夫に妾を勧め、その子を自分の子として育てることもあったそうです。離婚するときも、庶民では「三下り半」と呼ばれる離縁状を妻に渡すことで離婚が成立していたそうです。
為になるの?こんな雑学!【結婚】
⑤ ~明治・大正時代

明治時代には、身分や国籍に囚われない自由な結婚が認められるようになっています。以外にも遅かったのが一夫一婦制の制定。これは、明治31年に外国からの圧力?により制定されています。キリスト教の世界では、一夫一婦制が昔から基本とされてきました。しかし、その一夫一婦制でも日本での権利は主に夫にあり、妻には義務とするものが多くまだまだ不平等だったといえるでしょう。大きな買い物などは、夫の同意が必要で、妻の意思では、結婚や離婚を決めることもできないという時代だったようです。
為になるの?こんな雑学!【結婚】
⑥ 現代の結婚

第二次世界大戦の終戦を期に、大きな転換期を迎えたと言っていいのでしょう。日本国憲法第24条「結婚は結婚する当人が決めるもので、夫婦は平等である」と定められています。民主主義の到来です。

しかしながら、戦前の家制度のなごりは今でも根強く残っているのも事実でしょう。男性の姓を名乗るなんてのも98%あるそうです。最近は、「事実婚」なんて言われる婚姻届を出さない結婚などもあり、結婚に対する考え方も多様化しているとも言えますね。


皆さんのご家庭ではいかがですか?(笑)

ちなみに私の家での大きな買い物や決済権は。。
はい!嫁さんが決めます!(笑)
家長的権力は嫁さんにあるようです?(爆)