日本初の小学校が出来た所!それが、長崎だったのです。
鎖国時代の唯一の開港都市だから当然!長崎市か平戸市!?と考えがちですよねぇ~。
しかし、実際に日本初の小学校が出来たのはなんと「対馬」だったのです。さらに、日本初の外国語学校も「対馬」が日本初!
今回は、『日本初の学校』をご紹介致します。
◎ 日本で初めての小学校の誕生
日本で初めて小学校を作ったのは、現在の長崎県対馬市で、1685年(貞享2年)に、当時の対馬藩主だった、「宗 義真」が府中(現在の厳原)に学校を建て、小学校と名づけ、家臣の子弟を教育したのが始まりだそうです。
ですから、小学校の発祥の地は「長崎」さらに言うと、「対馬市の厳原!」ってことになるのです。
「宗 義真 氏」のことは、いろいろ出てきたんですが、小学校についての文献が乏しく、ご紹介するまでには至りませんでした。
ちなみに、「宗 義真 氏」については・・
宗家21代、対馬藩主義真の治世は35年間。最大の業績としては、「大船越瀬戸の堀切」を造ったことだそうです。当時は、島の中央に位置する浅茅湾で、西方朝鮮海峡に通じていたそうなんですが、東方の対馬海峡には水路がなかった為に、わざわざ積荷を下してから、船が丘を越すという大変なことをしていたそうです。そして、1672年(寛文12年)に水路の開さくに成功!その後にさらに拡張が行われて、現在の延長240㍍、幅50㍍の堀切となったとのことです。
日本で最初の小学校と名づけられた学校の設置などを行った人だけでなく、いろいろ事業を行った方だったようです。
*大船越瀬戸の堀切
もともと対馬は全島が地続きだったそうです。現在の美津島町に朝鮮海峡から対馬海峡に通じる瀬戸として、寛文12年(1671年)に「宗 義真」がここを堀切り、通行の便を開いたそうです。また、明治33年に旧日本海軍が軍事目的の為に、艦船を通すために掘った、有名な人口の水道「万関水道」との2ヶ所で、現在、朝鮮海峡と対馬海峡の間を船が行き来できるようになっています。
話が違う方向に進んでしまいまして、申し訳ありませんでした。
しかし、対馬も調べてみるといろいろな歴史を持っています。機会があれば、また、ご紹介しようと思います。
◎ 外国語学校
対馬は、朝鮮半島との貿易にとって、日本との中継地点として、たいへん重要な役割を果たしていました。その為、対馬藩は、1600年代より隣国の言語であるハングル語の習得を奨励していたそうです。そして、江戸末期に日本で初となる朝鮮語学校を設立しています。(その後、明治に入り、東京外国語学校の開学と同時に合併されています)