地図を見ていて、ふと疑問に思いました。
県庁所在地。各県に必ずありますよね。
江戸時代は、もちろん県で分けている訳ではなく、藩で分けられていました。
長崎県ではもちろん!長崎市ですが、なぜ?長崎市が県庁所在地になったのでしょうか?江戸時代は天領だったからなんでしょうか?
それならば、他の県はどうやって県庁所在地を決めたのでしょうか?一番人口が多かったからなんでしょうか?
日本に初めて県が出来たのは、明治4年(1871年)の廃藩置県が行われたからなんですが、その当時の県の数は、なんと!302県もあったのです。
今回は、廃藩置県と県庁所在地の関係をご紹介します。
◎ 廃藩置県と県庁所在地
明治4年(1871年)に全国統一をさせる為に中央集権国家の体制を作る為、それまで各藩主が握っていた支配権、統治権、領有権などをまとめました。
この廃藩置県が行われた時の県の数は、なんと302県だったのです。それは、旧藩のほとんどがそのまま県になったからだそうで、その数があまりにも多かった為、明治23年(1890年)頃までに43県へと合併させています。
ここで、問題となるのが県庁所在地の問題ですね。302県それぞれに県庁所在地が存在していたのに、県が合併するということは、どちらの県庁所在地が県庁所在地となるかが問題となりますよね。特に旧藩で決められた県ですので尚更です。
実際は、そんな心配をよそに、多くの県はその合併した県の中で、最も勢力があった城下町がそのまま県庁所在地とすんなり決まったみたいです。
では、長崎は?というと、開港地となった所だと言うことで選んでいるみたいです。これは、長崎だけでなく、神戸・横浜なども同じなのです。
結果は、思った以上に簡単でしたね!(笑)
ところが、調べている時に、ちょっと変わった形で県庁所在地が決まった所もありました。
それが群馬県。がちょっと面白い県庁所在地の決まり方をしているので、ご紹介いたします。
◎ 群馬県の県庁所在地の決まり方
群馬県の県庁所在地は?と聞かれると長崎の方は「前橋市」と即答できる方は少ないのではないでしょうか?(笑)
この群馬県の前橋市が県庁所在地になった経緯をご紹介します。
実は、群馬県の県庁所在地は現在の前橋市ではなく、当初は高崎市に決まっていたそうなんです。しかし、当時の高崎市の高崎城跡はとても県庁舎として使える状態ではなかったそうなんですね。その為、整備が出来るまで一時前橋市の前橋城に県庁機能を移転していたのです。
その時!ここぞとばかりに前橋は県庁所在地としての名乗りをあげ、誘致活動を展開したのです。そして、その結果!ついに仮の県庁機能をもった公舎だったはずの前橋市が、なんと!県庁所在地を奪取することに成功してしまいました。
これには高崎市の住民などはたいへん驚いたことでしょう。あれ?いつの間にか盗られた!なんてね。。(笑)