日本初の有料道路は長崎にあります!
これは、あまりにも有名な話?でしょうか。
今回は、日本で初めて造られた有料道路である「日見峠」を今回はご紹介です。
*この話題もLiboでのリニューアルです(笑)
国道34号線で、長崎市街から諫早方面へ向かう旧日見トンネルの上を通っている峠道で、長崎市内からだと、旧日見トンネルへ向かう分かれ道ぐらいから入って行き、道幅としてはあまり広くない道です。ゴルフ練習場の所へ通じる道です。
車でも通行可能ですが、道幅が狭く、対向車(あまり来ませんが・・笑)が来ると履行に苦労するところも・・・
石塔も立っており、機会があれば旧長崎街道の散策にでもいかがですか?
○ 有料道路を作った背景
日本で最初の有料道路である日見峠(明治新道)は、明治15年に竣工しています。
これは、江戸時代の鎖国により、日本の窓口として栄えてきた長崎。しかし、明治時代に入り開国になると、横浜・神戸など、中央都市に近い新しい開港都市などに外国船の出入港が認められてしまいます。
当然、今まで独占していた貿易港が、他の港と長崎は競争することなってしまいました。立地的に不利な長崎は、貿易港として非常に厳しい状況に陥ってしまいます。
そこで、長崎港が生き残る為には、まず、陸の交通を整備することが必要だと考えたんですね。
江戸時代から長崎街道は、陸の交通の最大の幹線だったのですが、その中で、西の箱根ともいわれ立ちはだかっていた日見峠が、交通の最大の難所といわれている場所の1つだったのです。
その為、日見峠を越える峠道を、早急に馬車や人力車を通す為に整備する必要があったんですね。
峠の頂上を開削して掘り下げ、道幅を広げ、傾斜をなだらかにし、馬車や人力車、荷車といったものが通れるようにしたのが、この日見峠ということになります。
○ 長崎新聞@コラムによると。。
当時の長崎県令(県知事)である内海忠勝は、明治14年2月(1881年)に、地元の有力者との協議の結果、第十八国立銀行支配人である松田源五郎を発起人総代とし、資金を集め、日見峠新道会社を設立しています。
明治15年に竣工し、日本初の有料道路が誕生しました。峠の頂上を20メートルほど開削し、道幅は4mだったそうです。
有料道路ですので、当然、通行料があります。当時の通行料は、馬車が5銭、荷車3銭、人力車2銭などだったそうです。
今の価値からすると高かったのか、安かったのかよくわかりませんが。。。。
まあ、それなりの金額だったのでしょうね(笑)。
ちなみに、「旧日見トンネルが開通した当時は、日本一長いトンネルだった!」そうです。
「明治新道」と同じ日見峠新道会社が、大正13年(1924)に着工、二年後の大正15年(1926)に完成しています。全長640m、幅は7.2m。