もうすぐ今年も終わりです。早いもんですねぇ~。あっと言う間の1年間のような気がします。
ところで、もうすぐお正月の食べ物といったら、「餅」を連想される方も多いと思います。
今回の「為?こん!」では、【お正月に餅を食べる】についてのちょっとしたお話です。
元旦の食事の定番と言えば、「雑煮」もそのひとつに数えられます。その雑煮は、地域によっても様々な味付けや具があり、郷土色豊かな正月料理といってもいいでしょう。餅が丸いのが西日本?四角いのが東日本?ってことも聞いたことがあります。
餅が雑煮の中に入っているのは、箸でつまむと良く伸びることから、「寿命が延びる」と縁起を担いでいるとか。。
ところで、日本人が餅を正月に食べるようになったのはいつ頃からなのでしょうか?そのルーツとしては、どうも「鏡餅」に関係しているようです。
○ 鏡餅がルーツ
「三方(さんぽう)」とういう四角い台の上に半紙、シダ植物(ウラジロなど)の葉を敷き、その上に、大小の丸型の餅を積み重ねて、その上に「みかん(ダイダイ=実が落ちない)」を置き供えます。この鏡餅には、古代中国で神事として元旦に固いまま餅を食べる儀式があったそうです。それを日本の宮中が見習ったことから始まったと言われています。しかし、日本では食べずに餅を鏡に似せた形、すなわち円形にして、それを鏡餅と呼んで神様に供えたそうなんですねぇ~。
自分の姿を映し出すことから、鏡のことを「姿見」と私の祖母が言ってました。人の魂まで吸い取るように、昔は考えられていたということから、生命のシンボルであるとも思われていたようです。そしてこれを陰と陽を表す大小二つの餅として重ね合わせているそうなんです。その年の多幸を願って。。。
そのうち、宮中の神事は時代とともに武家社会に広がり、室町時代になると年末に餅をついて、元旦に儀式として供えてたそうなのです。そして、武士の象徴である刀を表す「刃、柄」の日(こんな日があるんですね.知りませんでした。笑)である、1月20日に「鏡開き」と称して食べるようになり、そして一般庶民に広がった!という訳なんだそうです。
その後に、幕府はこの鏡開きを1月11日に改めた(なぜだか判りませんでした)そうなんですが、それに関係なく江戸庶民にとっての餅は、正月の特別な食べ物となり、それ以来元旦から食べられるようになったそうなのです。
もとはと言えば、餅を正月に食べるのは、こんなに神聖なものだったのですね。長生きに引っかけたもんだとばかり思ってました(笑)。