アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

為になるの?こんな雑学!【日の丸】

[2008/11/29]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
為になるの?こんな雑学!【日の丸】
今回は、私たちの国旗である【日の丸】についてのご紹介です。

日本国旗日の丸デザインは、本当にシンプルですが、存在感のある国旗だと思います。私が小さい頃、祝日の時に日の丸を玄関の前などに掲揚する家があちらこちらにみらた記憶がありますが、最近はほとんど見ることが無くなりました。また、日の丸弁当なんて言葉も死語になりつつあるんですかねぇ~。

・・・と言うところで、本題!早速、日の丸について調べてみました。結構調べてみると奥の深さにビックリ???
◎「日の丸」はいったい誰が考えたのでしょうか?

日の丸の歴史は意外と古いのです。「続日本紀」によると、文武天皇の御世の大宝元(701)年に元旦を祝う朝賀の儀式の際に、会場の飾り付けに「日像」を掲げたと記されているそうです。どうも、この日像が日の丸の原型であるとの説が多いようです。


◎戦国時代も掲げられていた。

武田信玄や伊達政宗などの武将も日の丸を旗印に用いたこともあったそうです。しかし、国旗としての用い方ではなかったようです。


◎いつ頃「日の丸」は出来たのか?

以外にも歴史が浅く、明治に入ってからだそうです。幕末期には、外国船が頻繁に来航するようになりました。嘉永6(1853)年、島津藩主・島津斉彬が大型蒸気船の建造にあたり、外国船と日本船の識別を明確にする為に日本の船の船印を白い帆に朱の丸に統一することを進言し、認められ安政元年(1854)に日本の船印はすべて日の丸となったとのことです。その時(幕末期)に日本に来航した諸外国にとって、当時の日本船印はすべて日の丸だったのを見て、国旗と勘違いしていたというエピソードがありました。この船印はその時に出来たのではなく、豊臣秀吉の頃の朱印船の船尾にすでに日の丸の旗があったらしい。江戸時代にも「日之丸御城米積船」という船が来航していたとの話もあり、かなり前から船印には日の丸が使われていたと考えられているそうなんですね。結局、かなり前からありました!ってのが答えなのでしょうか(笑)。


◎日本の国旗になったのはいつ?

正式に「日の丸」が日本の国旗になったのは、明治3(1870)年1月に太政官布告により公布され制定されました。日本船の印の世界的認知度が非常に高いことを考慮し、明治政府は日の丸を国旗としたのだそうです。


◎ 日の丸の持つ意味とは?

日の丸の朱の丸は太陽の象徴である最高神天照大神を表しています。また、白地はその天照大神の元で暮らす国民を指しており、国民の純白で清浄無垢を意味しているそうです。



国旗もいろいろと調べてみると、いろんな話があるもんですねぇ~(笑)。