プジョー家は、15世紀頃から、フランス東部、スイスとの国境近くドゥー県モンベリアールで、水車屋や小銃兵士をしていました。1810年、ジャン・ピエール・プジョー2世が冷間圧延工法による鋼鉄造りに成功し、製鉄工場へと進化を遂げました。
1880年代には“Les Fils de Peugeot Fre'res”(プジョー兄弟の息子たち)という名の会社を設立し、1882年 プジョーが初めて“LE FRANCAIS”という自転車をこの世に送り出しました。直径の異なる二つの車輪、ハンドルレバーブレーキ、フロントハブに固定されたペダル。ひと漕ぎで5メートル進むのもあったそうです。そして、1885年、ジャン・ピエールの孫にあたるアルマン・プジョーによって、職人の数は300人を超え、本格的に自転車の製造が開始され、1889年には世界各地へ輸出を開始しました。
アルマン・プジョーは、青年時代にプジョー社のエンジニアとして英国に留学。その時に、イギリスの自転車技術に出会ったんです。帰国して2年後の1873年、社長を務めていたアルマンの父エミールが死去。代わりに叔父であるジュールとその息子のウジェーンにゆだねられました。しかし、この2人から、アルマンの自転車造りは“反対”を受けてしまったんです。自転車という当時未知の世界に挑むのは、“無駄”とこの2人に考えられていたからです。しかし、アルマンは諦めず、ねばり強く彼らを説得し、実に12年もかかって、やっと自転車の製造をするところまでこぎつけたんだそうです。
アルマンは、自転車の製造を始めた頃にはすでに、自動車の製造を決意していました。そして、4年後の1889年には、プジョーの自動車第一号の「トリシクル (Tricycle)」を完成させていました。いわゆるプジョーでは「タイプ1」と呼ばれる車ですね。
20世紀に入り、自転車は日常生活において身近な存在になりました。しかし、二つの世界大戦で工場は徴用され、爆撃されてしまいます。1945年にプジョーは新たなモデルを開発するために再始動をしますが、そのスタートは大変困難なものだったそうです。その後もプジョーの革新は絶えず続き、安全性はもちろんバランス性、操作性、快適性といった技術の改良に取り組んでいきました。
話は少し変わりますが、20世紀初頭から続く世界最高峰の自転車レース「ツールド・フランス」があります。この「ツールド・フランス」とは、3週間ほどをかけてフランスを概ね1周するレースで、走破距離は、3600kmにも及ぶんです。2005年からUCIプロツアーの一つになりました。この大会には、第1回(1903年)から現在に至るまで、プジョーは、参加しているんです。
プジョー製折畳式自転車 1900年
今流行の折りたたみ自転車の原型は、100年以上も前に既に出来ていました。
この自転車も軍用として使用され、兵士が汽車やトラックで持ち運ぶ時に簡単にすばやく半分に出来るよう、フレームチューブが蝶つがい式になっています。
昔も今も変わらぬ企業理念がうかがえますね。