アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

長崎市:高島町 『炭坑と高島』③

[2010/06/30]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
高島公園を目指そうと炭坑資料館を出てグラバー別邸へ行こうと思っていた矢先、フトみると、左手に風力発電の風車が目に入りました。「遠そうだなぁ~」と思い、ターミナル内にある「レンタル自転車」を借りることにしました。なんと!電動自転車!ラッキーですね。お値段は4時間1000円(2時間以内だと、500円の返金あり)となっています。これは、借りるしかないですねぇ~。

颯爽と自転車に乗り、その風車に向かって南下していくと、8階建ての高層アパートがありました。これは、高島炭坑の社員の皆さん方が住んでいた当時のアパートなんでしょうか。。。

確かに、高さがありますね。ちょっと、各階の高さは現在のアパートと比べるとちょっと低い感じがします。見た目には7階建てぐらいの高さでしょうか。しかし、エレベーターはついていないようです。8階に住むと、「こりゃ~毎日たいへんだなぁ~。」なんて思ってしまいます。足腰の鍛錬にはもってこいでしょうか。。(笑)

しかし、この写真を見て解るように、このアパートにも空部屋となっているところが殆どでしょうか。。。高島町の人口の減少という現実をこんなところからも感じることができました。

この高層アパート。昔は本町と言われたところにこんなアパートがアパート群として数多くあったそうなんですが、現在、ほとんど取り壊されてしまっています。

「その頃の高島町は、たいへん賑わっていたんだろうなぁ~。」なんて思いにふけってしまいました。しかし、現在は、町中であまり人影を見かけませんでしたねぇ~。ちょっと寂しい感じもしました。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
そんな高島町を自転車で潮風を感じながら、風車の方へ向かうと、そこには運動場?広場?が広がっています。そして、その広場の先に風車があります。その風車がある山?丘?を登るとちょっとした展望台?があります。

そこある看板を見てみると、昔の上二子付近の写真や閉山する前の高島の写真が載ってました。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
明治後年の高島。。。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
閉山前の上二子付近
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
そして、現在。。。。

こうやって比べてみると、かなり変わりましたねぇ~。

『~時の足跡~』と書かれた看板を呼んでみると。。。

もともと、この辺り一帯は炭坑の関連施設があったところだそうで、炭坑アパートの廃材やボタを利用し土地を造成・整備し、今では「ふれあい多目的運動公園(平成15年3月完成)」として生まれ変わっているようです。また、高島町は、飛島海釣り公園など、水産業と観光の町へと今、変わろうとしているとか。。。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
島の最南端?だと思われるこの場所から、ここから、この島の真反対にある高島の最北端にある高島公園(グラバー邸跡)を目指します。

高島公園に入る手前のバス停の所に。。。北渓井坑がありました。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
明治初期:北渓井境
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
長崎市教育委員会設置看板より転記

◎ 市指定史跡『北渓井坑(ほっけいせいこう)跡』

平成17年8月22日にこの北渓井坑跡は市指定史跡として指定されています。

 高島では、佐賀藩により19世紀はじめから商品生産としての採炭が行われていたが、慶応4年(1868)4月、グラバー商会との合弁事業として高島炭坑開発の共同経営が開始された。その後、イギリス人技師モーリスを招き、明治2年(1869)4月、本村の海岸に近い低地に日本最初の蒸気機関による立坑が開坑された。ヨーロッパから最新技術と機会が導入された北渓井坑は、深さ43m、日産300tを産出したとされる。
 その後、明治7年(1874)1月に官営となったが、同年11月には後藤象二郎に払い下げられ、明治9年(1876)まで稼働した。
 我が国における初期の近代的炭坑施設として価値が高い。

長崎市教育委員会(平成20年2月設置)
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
北渓井坑跡から、ちょっと入った所に、高島公園があり、『グラバー別邸跡』があるところです。

そこでは、グラバーさんの像が出迎えてくれました。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
当時は、高島本島とは離れた小島だったそうで、慶応4年(1868年)にトーマス・B・グラバーが高島炭坑を開発した際に、明治初年にこの地に別邸と建て、この別邸の下にある船着場に船で通って出入りしていたとか。。また、その別邸を建築したのは「小山秀之進(国宝:大浦天主堂、グラバー邸を建築)」だと言われているようです。

ということは。。。このグラバー別邸から、長崎市内にあるグラバー邸まで日本初の私設電話を引いたということになるんですね。
長崎市:高島町 『炭坑と高島』③
そして、その地から見える景色です。グラバーさんもこの場所でこの景色を眺めていたんでしょうね。

日本の文明開化、日本の発展に強烈に貢献してきた高島炭坑。そんな歴史をグラバーさんが眺めたこの地で自分も眺めていると、新しいものが生まれ、その新しいものに対する自分自身の心構えが出来るような気がしました。

いかがでしょうか?

日本の発展の歴史に大きく貢献した「高島」。ぜひ、一度、足を運んでみてください。幕末から昭和の日本高度急成長までの歴史がこの地には眠っています。そんな気がしてならない高島の訪問でした。


最後になりましたが、観光事業では。。。

海釣り公園や海水浴場などもあります。ご家族でも楽しめます。今年の夏にでも、行ってみてはいかがでしょうか?また機会があれば、ご紹介してみたいと思います。