アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

気になるスポット!『長崎甚左衛門純景の墓』

[2010/02/02]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
気になるスポット!『長崎甚左衛門純景の墓』
西彼杵郡時津町から長与町に抜ける『国道207号線』に「長崎甚左衛門純景の墓→」という標識があるのをご存じでしょうか?住所はというと、長崎県西彼杵郡時津町浜田郷宇小島田となります。

私としても、以前から気になっていた看板なんですが、「長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ」という人は、一体どんな人だったのでしょうか?お名前が長崎ということで、これは何か大きなものを感じますよね。

今回は、この長崎甚左衛門純景という方を調べてみようと思います。
気になるスポット!『長崎甚左衛門純景の墓』
◎ 長崎甚左衛門純景(1548~1622)の墓

時津町から長与町に向かう国道207号線沿いから約300mの所にこのお墓があります。その道案内にこんな看板がありました。

『長崎氏は、代々長崎の領主。
 甚左衛門純景は、キリシタン大名「大村純忠(おおむらすみただ)=洗礼名バルトロメオ=」の娘婿。
 元亀(げんき)二年(1571年)純忠と謀って長崎の市街を開き、南蛮人との交易港とする。
 即ち、長崎開港の祖である。
 キリシタン洗礼名をベルナルドという。
 禁教により、天正十五年(1587年)長崎をを失い、時津に七百石を与えられたが受けず、久留米、横瀬浦を転々として時津に移り住んだ。 元和七年(1621年)12月12日この地に没す。
 後、大村内匠助長頼(おおむらたくみのすけながより)、ここに夫婦墓を祀る。

時津町教育委員会』

*看板から転記


何やら、長崎港を開港した元領主!ってことですね。長崎は鎖国時代は天領(1605年に長崎村は天領となる)だったのでその前の領主だった人だということです。言わば、元長崎のお殿様?と言えるのでしょうか。
気になるスポット!『長崎甚左衛門純景の墓』
墓碑は甚左衛門夫妻の墓で、元禄15年(1702年)子孫の大村内匠助長瀬が建てたもので、山陰郷の人々が修繕した旨を刻んであるだとか。。。
この長崎甚左衛門純景という人をさらに調べてみると。。

日本掃笞録によると、長崎左馬太夫純方の息子で、妻が大村純忠の娘と言われているようです。長崎氏は鎌倉幕府御家人の流れを汲む長崎の在地領主だったそうで、甚左衛門の時に大村純忠の家臣となったそうです。また、元亀元年にポルトガル商人と純忠の協約により、開港となった長崎には、大村町や平戸町などの六ヶ町が建設されています。

また、慶長10年(1605年)に天領となると、筑後柳川の領主だった田中吉政の所に去り、その吉政と断絶後、再び大村氏に仕え横瀬浦に100石を領し隠居生活という晩年を送り、元和7年12月12日にこの世を去ったということです。

長崎甚左衛門の銅像が『長崎公園』にあります。
長崎公園は諏訪神社の境内へとつづく見晴らしのよい丘です。時間があったら立ち寄ってみてはいかがですか?長崎開港の祖である長崎甚左衛門純景。そして、長崎ゆかりの人たちの像があります。その功績を皆さんの目で確かめてみてください。

長崎公園については後日、ご紹介致します。