アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)
※5/1(水)、5/4(土)~5/8(水)はゴールデンウィーク休業とさせていただきます。

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

為になるの?こんな雑学!【紙幣のモデル】

[2009/04/14]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
為になるの?こんな雑学!【紙幣のモデル】
紙幣というと人物が描かれていますよね。

その紙幣の人物のモデルは男性が圧倒的に多いんですが、5千円札には女性の樋口一葉が使われています。


では、最初の紙幣に使われたモデルは一体だれなんでしょうか?


ちょっと調べてみることにしました。
為になるの?こんな雑学!【紙幣のモデル】
昭和に生まれた私は、お札と言うと『聖徳太子』が一番ピンときます。

山田羽書一般的に紙幣は明治時代に作られたと言われてます。しかし、紙幣と同じように使われていたものは江戸時代からあったそうなのです。それは、江戸時代の慶長年間に伊勢山田地方で使われていた『山田羽書』という紙幣なのです。

この山田羽書は、紙幣と言っても考え方がちょっと違うような気がしますが、伊勢商人の取引上の銀貨のお釣りを手形とした預かり証だとか。これは、伊勢商人の間だけで流通した秤量銀貨の少額の端数をこの山田羽書というもので代用したのです。これを発行したのは伊勢外宮の神職(御使)だったそうで文字だけのものだったようです。
為になるの?こんな雑学!【紙幣のモデル】
初めてモデル(肖像画)が登場したお札は?

明治元年(1868年)に発行した「太政官札」は文字だけのものでモデル(肖像)はありませんでした。初めて肖像が入った紙幣はというと、明治14年(1881年)に登場しています。その時の最初のモデルは誰かと言うと『神功皇后』という人物だそうです。

そこで神功皇后とは?一体誰なんでしょうか?

2世紀~3世紀の人物で女性(皇后ですから!笑)だそうで、開化天皇の子孫にあたり、仲哀天皇の皇后とされています。しかし、本当に実在したかどうかわからない方なんだそうで、ある説では卑弥呼ではないかとまで言われているようです。

この紙幣に書かれた肖像画は、イタリア人のエドアルド・キョッソーネという人が書いたそうで、西洋風の女性に描かれていたそうです。


明治15年(1882年)に日本銀行が設立され「日本銀行兌換券」と呼ばれた紙幣が登場します。その肖像画で最初に描かれたモデルは、ご存じ七福神の「大黒様」。藤原鎌足、和気清麻呂とつづき、男性が続いていました。それゆえに、五千円札のモデルである樋口一葉は画期的な大抜擢だったのかもしれません。