アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

ライオンの記憶 【ラリーの王者 再び ②】

[2009/01/04]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
ライオンの記憶 【ラリーの王者 再び ②】
○ ラリーの王者 PEUGEOT WRC 再びの参戦②

'02年のWRCでは、14戦中8勝という飛びぬけた成績を残したプジョー206でしたが、'03年プジョーの牙城を脅かす存在が現れました。それが、プジョーと同じPSAグループの“シトロエン・クサラのローブ”の存在です。強すぎるプジョーバッシングともとれる様々なレギュレーションの変更もありました。また、このレギュレーションおよび、最大のライバルとなる同じPSAグループのシトロエンに対抗する為に、'04年、307WRCを投入することとなりました。
ライオンの記憶 【ラリーの王者 再び ②】
しかし、プジョーはベース車両を、ラリーでは普通考えられないボンネット部分が低い、クーペタイプの307CCを選択することになりました。この選択が正しかったのかどうかは別として、プジョー側は、206WRCに引き続きプロモーションを優先させたということになるのではないでしょうか。

この307WRCは、トルクバンドの広いXU7型のエンジンを搭載。ギアボックスをヒューランド製の横置き4速タイプに変更。さらにセンターにビスカス式デフレンシャルを採用するなどさまざまな変更をとアイデアを投入しました。
ライオンの記憶 【ラリーの王者 再び ②】
しかし、'04年当初から、デフ、ミッション、パワーステアリングなどの油圧系のトラブルの連続。アクティブセンターデフや5速ギアボックスの採用などさまざまな変更を余儀なくされてしまいました。フィンランドでは、なんとかグロンホルムが優勝を獲得することが出来ましたが、ドライバーズ、マニュファクチャラーズ両部門とも数多くのリタイアも響き、プジョーとしては、決して、結果的に満足のいく成果を出すことが出来ませんでした。

さらに、追い打ちをかけたのが、参戦コストの増加です。自社ブランドの販売地域外でのレースの増加など、PSAグループとしてのWRCへの参戦の魅力が薄れていったことも大きく関係し、PSAグループ(プジョー・シトロエン・オートモビル)は、'05年シーズンをもってWRCからの撤退を表明することとなりました。

ラリージャパンプジョーは'05年の有終の美を飾るべく、ボディーを1800mmまで拡大。サスペンション・ジオメトリーを一新。ギアボックスのケーシングの強化などの改良を行いました。しかし、タイヤをミシュランからピレリに変えたため、タイヤとのマッチングに苦戦をしいられてしまいます。さらに、セカンドドライバーのマルコ・マルティンの駆る307WRCがグレートブリテンにおいて、コース脇の樹木に激突。コ・ドライバーのマイケル・パークが命を落とすという悲劇に見舞われてしまいました。結局、'05年のラストシーズンは、フィンランドと日本での2勝のみに終わってしまいます。そして、その年のマニュファクチャラーズでは2位。ドライバーズではグロンホルムが3位という結果で終えることとなり、このWRCから姿を消すこととなってしまいました。


そして、次にプジョー・スポルトが新たなる標的として選んだのは、プジョー905で1-2-3フィニッシュをきめた伝説のある「ル・マン」へのディーゼルエンジンでの挑戦でした。