しかし、'04年当初から、デフ、ミッション、パワーステアリングなどの油圧系のトラブルの連続。アクティブセンターデフや5速ギアボックスの採用などさまざまな変更を余儀なくされてしまいました。フィンランドでは、なんとかグロンホルムが優勝を獲得することが出来ましたが、ドライバーズ、マニュファクチャラーズ両部門とも数多くのリタイアも響き、プジョーとしては、決して、結果的に満足のいく成果を出すことが出来ませんでした。
さらに、追い打ちをかけたのが、参戦コストの増加です。自社ブランドの販売地域外でのレースの増加など、PSAグループとしてのWRCへの参戦の魅力が薄れていったことも大きく関係し、PSAグループ(プジョー・シトロエン・オートモビル)は、'05年シーズンをもってWRCからの撤退を表明することとなりました。
プジョーは'05年の有終の美を飾るべく、ボディーを1800mmまで拡大。サスペンション・ジオメトリーを一新。ギアボックスのケーシングの強化などの改良を行いました。しかし、タイヤをミシュランからピレリに変えたため、タイヤとのマッチングに苦戦をしいられてしまいます。さらに、セカンドドライバーのマルコ・マルティンの駆る307WRCがグレートブリテンにおいて、コース脇の樹木に激突。コ・ドライバーのマイケル・パークが命を落とすという悲劇に見舞われてしまいました。結局、'05年のラストシーズンは、フィンランドと日本での2勝のみに終わってしまいます。そして、その年のマニュファクチャラーズでは2位。ドライバーズではグロンホルムが3位という結果で終えることとなり、このWRCから姿を消すこととなってしまいました。
そして、次にプジョー・スポルトが新たなる標的として選んだのは、プジョー905で1-2-3フィニッシュをきめた伝説のある「ル・マン」へのディーゼルエンジンでの挑戦でした。