○ プジョーF1(フォーミラー・ワン)への挑戦
WRC、パリ・ダカール、ル・マンを次々と制してきたプジョーは、次のターゲットをモータースポーツの頂点ともいえるフォーミラー・ワン(F1)に狙いをさだめました。
プジョーを支えてきたジャン・トッドの移籍。それは、オールプジョーを望むトッドと、当時のF1の常識とも言えるエンジンの供給のみの参戦を望むプジョーサイドとの亀裂が生じた為だと言われているのです。結局、プジョーはこの参戦において、エンジンのサプライヤーとして有力チームに供給するといった形をとることになりました。しかし、シャシーとのマッチングには、これまでにプジョー自体に経験のない難題が待ち受けていようとは誰も予測することができませんでした。
今回は、プジョーがF1に挑戦した時代をご紹介します。
○ F1への挑戦
1994年、プジョーは遂にF1デビューを果たします。しかし、今までのプジョーとは違い、エンジンを供給するという形をとることになりました。そして、初めてプジョーがF1エンジンを供給するチームとして、マクラーレンと手を組むこととなります。そのマクラーレンは、アイルトン・セナがチームを去り、ミカ・ハッキネンという次代のスターと共に再出発する時期だったのです。デビューの年に、予選・決勝とも最高位として2位を記録。まずまずの滑り出しのF1デビューとなりました。
その翌年である'95~'97年にはジョーダンにエンジン供給を行うようになりました。'96年にR・バリチェロがブラジルGPで2位、'97年にG・フィジケラがドイツGPで2位と言う成績を残しました。しかし、残念ながら'98年にベルギーGPでJ・トゥルーリが6位入賞のみの結果に終わってしまいました。'99年には何度かの表彰台に上ることが出来るまでに復活していきます。
しかし、常に栄光を手にしていたはずのプジョーのモータースポーツの歴史において、F1だけが、その栄光を手にすることができなかったのです。2000年には、プロスト・チームのそのものの活動が怪しくなってきたこともあり、プジョーはF1からの撤退の道を選ぶこととなりました。プジョーとしては不本意なほろ苦いF1への挑戦だったのです。
次回は、新たなる伝説が始まる!
Peugeot 206 ! WRCへの挑戦!をご紹介します。