アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

ライオンの記憶 【砂漠のライオン】

[2008/12/31]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
ライオンの記憶 【砂漠のライオン】
本年はたいへんお世話になりました。良いお年をお迎えください。

「砂漠のライオン」 パリ~ダカール ラリー

WRCのグループBの中止で、グループAの車両を持たないため、WRCからの撤退を余儀なくされたプジョー(PTS)。205ターボ16は、活躍の舞台をかつて404、504で数々の栄光を獲得したアフリカに移しました。

久々にアフリカに戻ってきたプジョー。

そこでは1978年から、「パリ・ダカール・ラリー」という新しいモータースポーツが年1回開催されていたのです。

今回は、砂漠のライオンと異名をとったプジョー「パリ・ダカ」の話です。
パリ・ダカール・ラリー用に205ターボ16を改良し挑戦することとなりました。

205T16パリ・ダカ用の205T16は、大容量の燃料タンクを確保し、直進安定性を増すため、ホイールベースを30cmも延長しました。さらにツイン・スプリング/ショックアブソーバーの採用、コースに合わせ360HPに抑えたパワーユニットなど、パリダカのためにまったくの新設計となった205だったんです。また、この205T16はWRC仕様の205ターボS16と区別する為に、205ターボ16GR(グラン・レイド)と呼ばれていました。

ドライバーは、WRCでおなじみの「アリ・バタネン」と「シュカー・メッタ」。そしてイタリア人の若い「アンドレア・ザヌッシ」の3人を要し、1987年1月1日ベルサイユ宮殿をスタートしました。しかし、バタネンは序盤ミッショントラブルに見舞われてしまいます。でも、そこからがプジョーのエースの「アリ・バタネン」です。アフリカ大陸に上陸するやいなや怒涛のごとくスパート!!わずか1日で250台を追い抜き、数日後は何とトップに躍り出てしまいました。そして、そのままダカールにたどり着き、プジョーは世界一過酷といわれる「パリ・ダカール・ラリー」において、デビュー&ウィンというとんでもない快挙を成し遂げてしまったのです。
ライオンの記憶 【砂漠のライオン】
翌年1988年、PTSは新兵器の405をこのラリーに投入することとなりました。その名も「405ターボ16」として登場しました。メカニズム的には、205ターボ16GRを踏襲するものだったのですが、専用設計のボディーはより高い次元でのポテンシャルを持っていました。しかし、この年、信じられない事態が起こってしまったのです。

スタートから飛ばしに飛ばしたバタネンを見て、誰もが昨年の再現を予測していたことでしょう。しかし、なんとバタネンの乗る405ターボ16が、何者かによって盗難されるという前代未聞の事件が起きてしまいました。結局、バタネンの乗る405T16の車輌は見つからず、タイムロスが原因で失格となってしまう結果となりました。

一方、残りの2台の405T16は予想通りの走りをみせました。そして、カンクネンが優勝!プジョーが前年に続く2連覇となり、プジョーの強さを証明した形となりました。

405T161989年は、バタネンとイクスの2人が駆る405ターボ16がプジョー同士の熾烈なトップ争いとなりました。プジョー独走態勢ののちバタネンが優勝。そして、1-2フィニッシュ!という結果になりました。そして、さらには1990年において、405ターボ16に立ち向かえるライバルはもう誰も居ないという状況でした。この年は当然ながら、プジョーの1-2-3。そして、またもバタネンが通算3度めの優勝を飾っています。

もはやパリ・ダカで敵なしとなったPTSは、パリ・ダカール・ラリーで4年連続優勝という大記録を残したまま、新たなステージ「ル・マン」へと舞台を移していくことになったのです。

次回は「ル・マンへの挑戦」を、ご紹介します。