翌年1988年、PTSは新兵器の405をこのラリーに投入することとなりました。その名も
「405ターボ16」として登場しました。メカニズム的には、205ターボ16GRを踏襲するものだったのですが、専用設計のボディーはより高い次元でのポテンシャルを持っていました。しかし、この年、信じられない事態が起こってしまったのです。
スタートから飛ばしに飛ばしたバタネンを見て、誰もが昨年の再現を予測していたことでしょう。しかし、なんとバタネンの乗る405ターボ16が、何者かによって
盗難されるという前代未聞の事件が起きてしまいました。結局、バタネンの乗る405T16の車輌は見つからず、タイムロスが原因で失格となってしまう結果となりました。
一方、残りの2台の405T16は予想通りの走りをみせました。そして、カンクネンが優勝!プジョーが前年に続く2連覇となり、プジョーの強さを証明した形となりました。
1989年は、バタネンとイクスの2人が駆る405ターボ16がプジョー同士の熾烈なトップ争いとなりました。プジョー独走態勢ののちバタネンが優勝。そして、1-2フィニッシュ!という結果になりました。そして、さらには1990年において、405ターボ16に立ち向かえるライバルはもう誰も居ないという状況でした。この年は当然ながら、プジョーの1-2-3。そして、またもバタネンが通算3度めの優勝を飾っています。
もはやパリ・ダカで敵なしとなったPTSは、パリ・ダカール・ラリーで4年連続優勝という大記録を残したまま、新たなステージ「ル・マン」へと舞台を移していくことになったのです。
次回は「ル・マンへの挑戦」を、ご紹介します。