【サファリのライオン 404・504 】
第2次世界大戦前は、プジョーのモータースポーツの活動には、目覚しいものがありました。しかし、戦後に入るとプジョーのモータースポーツ活動を辞めてしまいました。これは、実用モデルを1車種に絞り作り続けるというプジョーとしての選択を選んだことに原因があると考えられます。1960年代に入り、プジョーが再びモータースポーツの世界へと帰ってくる舞台と選んだのは「ラリー」でした。そのラリーの中でもプジョーは、なんとヨーロッパではなく、サファリなどのアフリカ大陸のものを選んだのです。アフリカ大陸は、フランスの植民地にしていた国が多く、その為、フランス車が多く存在してる地域でもありました。プジョーにとって、ヨーロッパの次にアフリカ大陸は関係が深い場所だったんです。
プジョーがサファリに送り込んだラリー・カーは、市販車ベースのほぼそのままのクルマで、特に高性能だとか、特別な装備だとかはコレといって特記するものはない“普通のサルーン”だったんです。しかし、プジョーの普通のサルーンの並外れた耐久性は、道なき道を走破するサファリでは力を存分に発揮。そして、プジョー404、なんと'63年に初優勝を遂げてしまいます。その後'66~'68年にかけて3連覇を達成という快挙を成し遂げました。
さらに'70年代後半になり、耐久性だけではなく、サファリではスピードが要求されるようになりました。
そこで、プジョーは、2ℓが最大排気量となるベルリーヌに変えて、2.7ℓ/V6の504クーペを投入しました。そして、'78年に優勝を遂げました。サファリでのほかのアルリカ地域では、西部で開催されているバンダマ・ラリーでも504が幾度もの優勝をしています。