「戦前から戦後のプジョー二輪車」をご紹介します。
○ Pで始まるモデルの誕生1920年代後半から、オートバイのモデルに有名な「P」で始まるモデルが始まりました。
P101(175cc/単速)、P102(175cc/2速)、P105(350cc/ロッカーアームバルブ)、P107(350cc/サイドバルブ)、P108(250cc/サイドバルブ)など様々なモデルが登場しています。この時代、エマージド・グリスポンプ、全スチール・オイルクラッチ、相互性のあるホイールなどの新しい技術も投入されています。
○ P5151929年にプジョーは、4サイクルエンジンブロックで成功を納めると共に、全てのモデルに採用することになりました。そして、1933年に発表された350cc~500ccまでのP115、P117、P515に新しいエンジンブロックを投入しています。このエンジンは、当時の英国製の最高のエンジンに並ぶ洗練された新世代エンジンでした。P515「グランスポーツ/500cc」は、パリ~レ・ピレネ~パリ・ツール・ド・フランス、ボル・ドールなどで勝利を納め、当時フランス人が参加も出来なかった?国際6日レースでの定期的な勝利も納めるようになっています。1932年から、軍隊、警察、郵便局にも採用されていて、プジョーのオートバイの性能の良さと信頼性が広く認められたと言えるでしょう。
しかし、P515は、プジョーが生産した「最期の大排気量エンジン」となります。第二次世界大戦が始まり、1931年のP50、1938~38年のP53、1945年のP54と徐々に小型オートバイの小排気量のエンジンに変わっていきます。
※ ちょっと寄り道・・・
日本のオートバイの起源は?日本では、1910年頃にオートバイが輸入されています。しかし、それよりちょっと前の1908年、島津楢蔵氏が「NS号」なるものを製作しています。自転車にエンジンを取りつけたもので、エンジンは外国製のエンジンをまね、キャブレーターやスパーク・プラグなどはすべて手作り、吸気バルブは機械駆動によるバルプ機構4サイクルの単気筒400ccだったそうです。また、サドルの下方に乾電池を収納し、それを電源としていたそうです。
○ 大排気量エンジンから小排気量エンジンの時代へそして、1945年から1961年までは、125ccのエンジンが主流として製造されています。これは、第二次世界大戦を迎え、困難な状況を迎えたのが原因です。
そして、1951年のBMA25(補助エンジン自転車)の成功のあと、1952年には、ペダルに固定された水平タイプの小型エンジンの「BIMA」が発売されています。1956年には、BG1とBG2のラヴァレットエンジンの2つのモデルが主流となります。そして、1958年に、新しいパウダーメタル自動クラッチタイプのBB2になり、1960年、3速の小さなブロックエンジンの原動機付き自転車が登場します。
そして、2年後には104シリーズが誕生することになります。1965年、RT、VRT、RS、VRSシリーズが発売。1967年には、最初の101、102が小型モデルをさらに倍増しています。この時代は、男性的なパワーを持つオートバイよりも、スクーターに乗る女性のイメージが求められた時代なのかもしれませんね。
次回は、プジョー二輪車の歴史、最終話、「プジョー二輪車、そして現代」へとつづきます。