プジョーの伝統、3桁の数字
1915年にアルマン・プジョーが他界。その後を受けてロベール・プジョーが、新しいプジョー・グループの総帥となりました。このロベール・プジョーが総帥となったことにより、プジョーの車造りの方法が転換することになりました。オートモビル・サイクル・プジョーは、今までのように、少しずつ多くのモデルを造るという方針から、車種をシリーズ化し、大量生産していくようにしたのです。そこで生まれたのが、プジョー伝統であり、現在もなお続いている皆様ご存知の「 0 」を挟む3桁の数字なんです。
そして、その3桁の数字を初めて与えられた車が、プジョーの小型大衆車「201」なんです。
Peugeot 201
「Peugeot 201」は、1929年7月にDébutしました。この201は小型大衆車として位置付けられ、201ベルリーヌで、ホイールベース2450mm、全長3670mm×全幅1350mm×全高1650mm、車輌重量892kg、水冷直列4気筒1122cc、最高出力23HP/3500r.p.m、3MT、最高速度は80km/hでした。サスペンションはフロントが横置リーフ、リアが1/4楕円のリーフを採用していました。
201は、ベルリーヌの他に2シーターのクーペ、4ドア4シーターのオープンのトルペード、フルゴネットなど最初から多用なボディーバリエーションを誇りました。'31年にはピックアップの201T、ブガッティ設計の201X(4気筒994cc)、翌'32年に6人乗りのファミリアール201L、201S(4気筒1084cc)が追加されました。
'31年その他の201は、フロントサスペンションが独立懸架になった201Cに切り替わりました。その後、'33年1月にフレーム断面をコの字型からボックス型に変更(201B)。フロントグリルに傾斜角をつけた201BR3/BR4('33年8月)、'34年9月にエンジンを2ベアリングから3ベアリングへ変更。ギアボックスにGM製のシンクロをプジョーとして初めて採用し、流線型の201Dへと進化しています。そして、'36年8月に201Mを発表。排気量を1465ccとし、最高出力が35HPになりました。そして、1937年9月に生産終了し、約8年間の生産台数は142,309台にも上りました。