アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
Googleマップでみる

TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

オートモビル・プジョーの誕生

[2008/09/05]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
オートモビル・プジョーの誕生
◎ アルマン・プジョーとオートモビル・プジョー

アルマン・プジョー

1897年にアルマン・プジョーは、オートモビル・プジョー株式会社(Société Anonyme des Automobiles Peugeot)を誕生させました。そして、その年に発表した「タイプ14」といわれる車から、初めて1645ccの水冷水平対向2気筒の自社製エンジンを搭載することになりました。


アルマン・プジョーまた1901年の「タイプ36」から、ハンドル操舵部分が垂直になっているクランク棒から、傾斜したシャフトの端に円形のステアリング・ホイールをつけたものに変わり、運転席がホイールベースのほぼ中央までさがりました。そのことにより、前方(フロント)に箱型のボディーがつきました(今の車のボンネット?フロントエンジン部分?といっていいでしょうか)。次の「タイプ37」になると、運転席下にあったエンジンが、フロントの箱?の中に移動し、“フロントエンジン・リアドライブ方式”となりました。同時期に発売した「タイプ48」では、プジョーとして初めて後輪の駆動をチェーンから、シャフトに変更を行いました。そのことにより、現在の車の形の基本的なメカニズム?といえるような形となりました。

TYPE69(Bebe)1905年になると、年間400台の生産を記録したヒット作「べべ“BéBé"」が生まれます。フランス語で赤ちゃんの意味を持つこのべべは、ホイールベース1665mmというオープン2シーターの小さな車でした。
エンジンも652cc、6HP/1550r.p.m、3段のギアボックス、最高速は、44km/hを記録し、ステアリング形式「ラック・アンド・ピニオン」を採用していました。


○リオン・プジョーとブガッティ設計のべべ

TYPE36アルマンが去った後、1906年、レ・フィス・ドゥ・フレールで、「リオン・プジョー(LionPeugeot)」の名で、自動車の生産が開始されました。
リオン・プジョーのモデルは、独自に開発したエンジンを搭載していました。第1号車のタイプVAは、785cc、最高出力6/7HP/1400r.p.mの単気筒エンジンを搭載。タイプVC-VC1は、1045cc、最高出力8/9HP/1400r.p.mの単気筒エンジンをフロントに装備していました。さらに4年後には、V型2気筒、1912年のタイプV4C3からは、V型4気筒(1725cc,9HP/1800r.p.m。翌年1888cc,10HP/1800r.p.m)を搭載しました。

そして、リオン・プジョーとオートモビル・プジョーは1910年に合併。名前を「オートモビル・サイクル・プジョー株式会社」としました。しかしながら、双方のモデルは、しばらくの間統一されることが無く、それぞれがそれぞれの工場で作られていました。そうした中、1913年、戦前最大の大ヒットとなった小型車の「べべ」が、旧リオン・プジョー側から登場することになったのです。先ほどご紹介しました「べべ」の後継モデル?2代目のベベは、オープン2シーターの小型車というところ意外は、全く別物で、この2代目べべを設計したのは、あのエットーレ・ブガッティー(後に高性能スポーツカーで名を馳せることになる)でした。