アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】

[2009/05/08]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
教会群を世界遺産に!って話が長崎では盛り上がっていますが、それにあやかって?!長崎の教会シリーズでもやってみようかと企んでます。(笑)


よく周りを見渡してみれば、長崎は教会が多いですねぇ~。至る所に有名な教会やあまり知られていない教会などがたくさんありますよね。そこで、長崎の教会をボチボチご紹介してみようと思います。


まず!教会シリーズ第1回目を飾るのは。。。

まずは有名処の天主堂「浦上天主堂(長崎市本尾町1-79)」からのご紹介です。

なぜかって?それは、私の実家の近所だからです。(笑)


浦上天主堂は、ローマ教皇「ヨハネ・パウロ2世」が昭和56年(1981年)に来訪され、叙階ミサが挙行された教会なんです。お泊りになられたのがなんとすぐ近くのカトリックセンターでした。当時は「パーパさん!パーパさん!」って大騒ぎしてました。当時私が通っていた高校には神学校がある為、いろいろとお世話をさせて頂きました(半ば強制!笑)。懐かしいですね。また、来崎された時に大雪が降っていたのを思い出します。そして、お帰りになる時も。。とにかく寒かったですね。


また、この天主堂は原爆よって倒壊した教会と言う側面を持つ教会であることでも知られています。

私にとっての浦上天主堂は、小学生時代の遊び場で、悪さして神父さんによく怒られた思い出がたくさんある場所です。(笑)

今回は、その浦上天主堂にあった案内板をもとにご紹介したいと思います。私自身、よく遊んでたはずですけど、その頃は歴史なんてよく知りませんでした。(汗)
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
◎ 東洋一の教会 浦上天主堂

江戸時代のキリスト教弾圧が、明治時代になると日本は国際的な非難を浴びることになりました。

慶応3年(1867)に浦上四番崩れによるキリシタンの流配(旅)から戻った浦上のカトリック信徒たちは旧浦上村の庄屋宅跡を購入し、明治13年(1880)補修して仮聖堂としました。その後、明治28年(1895)主任司祭・フレノ神父はロマネスク様式で煉瓦造の聖堂建設に着手。カトリック信徒達が赤レンガをひとつひとつ積み上げ30年もの歳月をかけ、大正14年(1925)双塔の竣工をもって完成に至りました。当時の天主堂は「東洋一の教会」と称されていました。(原文のまま掲載)
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
昭和20年(1945)原爆により倒壊してしまいます。その原爆により、当時の主任司祭の西田三郎神父らと信徒20数人が犠牲となっています。

被爆した浦上天主堂2また、この原爆で長崎の多くの人々が犠牲となったのはご存じの通りです。そして昭和21年(1946)、生き残った信徒達の手で木造の仮聖堂が建設され、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造の聖堂が再建されています。

再建された浦上天主堂は当時はコンクリート剥き出し(灰色)の建物でしたが、昭和56年(1981)にヨハネ・パウロ2世の来崎がキッカケとなり、以前から当時の天主堂の姿を惜しむ声もあったことから、煉瓦を貼り付けて昔の天主堂を再現?するように改築したと記憶しています。また、教会の周りもこの時に現在のように整備されています。

*原爆落下後終戦すぐに、アメリカ軍から異例の速さでこの天主堂は解体されています。これは、これだけの天主堂のすぐ近くに原爆を落としたのを米国の人々に知られたくなかった!との思いがあったとか。。。キリスト教信者が多い米国国民への配慮だったのです。
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
被爆した当時の像と天主堂の壁など。

像の首の部分が無かったり、鼻の部分が無かったり。。。
そして、その像をよく見ると、焼けたような跡が今でも像に残っているんです。

「原爆の威力の凄さ」や「このような過ちを、二度と起こしてはならない」と言うことを今でも私たちに語っている様に見えます。
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
◎ 原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼

爆心地より北東へ約500メートル。

小高い丘の上に建っていた赤煉瓦の浦上天主堂。。。。。

被爆した鐘楼1945年8月9日午前11時2分。

原子爆弾によって、天主堂のほとんどが崩れ落ち、崩れ落ちた鐘楼の一つ(約50t)が天主堂脇に今でも原爆被害の姿をとどめています。

戦後、建設された天主堂が現在のように煉瓦造り風に改築される数年前までは、フェンスのある壁の上まで土があり埋まったままとなっていました。上の方だけちょっとだけ出てたんじゃなかったですかねぇ~。恐らく。。。何も分からず当時はベンチ!と言って座っていたような記憶があります。

埋まっていた鐘楼は、改築の時に掘り起こされ、二度とこのような惨禍が繰り返さえられないことを願って、教会整備の際、取り除かずにそのままの形でとどめることになりました。

今尚、この鐘楼は、私たちに無言で「平和の大切さ」を語りかけているように思えてなりません。

長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
*教会内は撮影禁止だった為、掲載できませんでした。教会内は、建物の大きさから見ても想像できる通りとても広いです。聖母マリアのステンドガラスや数々のキリストの絵などがあります。近くに行った時にでも寄ってみてはいかがでしょうか?

ちなみに、専用駐車場はありませんのでご注意ください。(私の実家がここから、200メートルぐらいですので、実家に車を止めて徒歩で行きました。笑)

さらに、この浦上天主堂はクリスマス・イヴになると飾り付けが行われます。すごく綺麗ですね。また、ミサも行われ、多くの信者と観光客で賑わいます。これも必見でしょうか。
長崎の名所!迷所? 【 浦上天主堂 】
小さい頃、当時、山田のおじちゃんが鐘を朝夕ずっと、鳴らしていました。1階部分まで垂れ下がっていた綱にしがみついて鐘を鳴らさせてもらったのも良い思い出ですね。また、小さい頃は「鐘の鳴ったけん!帰えっけん!」って子供の頃の時計代わりでもありました。

今でもそうなのかなぁ~。。。