アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
Googleマップでみる

TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】

[2009/02/04]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
『ソロバン・ドック』ってご存知ですか?

長崎市内の方はご存じだと思いますが、長崎市街から戸町方面へ向かう戸町トンネルの手前の小菅町に通称『ソロバン・ドック』と言われる小菅修船場跡のことで、日本最初の洋式スリップドックなんですねぇ~。また、このドックは、昭和44年4月12日に国指定史跡にも指定されているのです。

船台の車輪
このソロバンドックは、その名の通り、船を引き揚げる船台がソロバンにに見えるためにこの通称名がついたそうなのですが、船体引き揚げには蒸気機関が使われています。

また、その他の物もグラバーが仲介し、イギリスより輸入されたとのことです。


こんなところにもグラバーさんが出てくるなんて、改めて長崎との関係の深さに感心しますね。
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
さて、このソロバンドックの歴史を詳しく?ご説明してみましょう

トーマス・グラバー
幕末に長崎の外国系商社を通して購入していた当時の洋船は、中国で使われていた中古船が多かったそうなのです。

その為、故障が多く、船の修理を国内で行える施設が必要でした。そこで、トーマス・グラバーが慶応2年(1866年)に友人である薩摩藩士五代才助(のち友厚)、小松帯刀とともに小菅に修理場を建設する計画を立てたのです。

そして、明治元年(1868年)12月に日本初の洋式スリップドックを竣工しています。

翌年の明治2年(1869年)3月に政府がグラバー管理のこの施設を約12万ドルで買収し、対岸の官営長崎製鉄所の所管とされています。西南戦争があった明治9年度(会計年度)には修理船は11隻にも上り、新船も建造しています。立神ドックが明治12年に完成してからは、500トン以下の船舶を建造しています。

そして、そして後にこの官営は民営に移管され明治20年(1888年)に三菱造船所となっています。
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
そのソロバンドックは、緩やかな傾斜を利用し、船を引き揚げる船台(スリップウェー式)で、満潮の時に船を船台に乗せてウインチで引き揚げるという方法でした。
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
また、巻き揚げ機小屋に「こんにゃく煉瓦」が使われ、我が国に現存する最古の煉瓦造り建築となるんだそうです。
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
窯

建物のガラス越しに中を覗いてみました。すると!なんと当時の窯や蒸気機関がそのまま残っていました。

動力は、25馬力の巻き揚げ蒸気機関でイギリス製なんだそうです。
日本で最初は長崎 【ソロバン・ドック】
ガラス越しに撮影したので写りが悪いです。すみません。


しかし、日本最古と言われる煉瓦造りの建物がこんなところにポツンとあるなんて。。。これも驚きです。


このソロバンドック。当然、海に半分浸かってますので、錆が酷くなっていましたね。国指定の史跡としても、これでいいのかな?ってな感じでした。


ちょっと寄り道で、こんな歴史を持つ『ソロバンドック』。幕末から明治へ移り変わっていく時代。大河ドラマ「篤姫」の時代でしょうか。そんな時代の長崎は、すでに近代化が進んでいたんですね。そんな長崎に、皆さんもちょっとだけでも触れてみるのも楽しいかもしれません。