【プジョー・タルボ・スポールから現代のプジョー・スポール】
○ プジョー・タルボ・スポールの創始者「ジャン・トッド」
プジョー・タルボ・スポールを語る時に、忘れてはいけない人がいます。その人は「ジャン・トッド」。ジャン・トッドは、プジョー・タルボ・スポールの創始者であり、最近まで監督として活躍。そして今は、フェラーリF1チームでのボスとして活躍しています。そのジャン・トッドについて今回はご紹介します。
ジャン・トッドは、開業医の父親を持つ1946年にフランス人として生まれています。早くからクルマと親しみ、学生時代には自動車のサークルにも入っていました。そこで、友人と一緒にラリーに参加するようになったそうです。しかし彼は、若い頃、ステアリングを握ることが無く、ほとんどコ・ドライバー(ナビゲーター)として活躍していたんです。
NSU1000TTS、ルノー8ゴルディーニ、フィアット・アバルト124ラリーなどの、コ・ドライバーとして活躍した彼は、1970年にプジョーのモータースポーツ部門に迎え入れられました。
プジョーモータースポーツ部門に迎えられたジャン・トッドは、ハンヌ・ミッコラなどとペアを組み、504ベルリーヌやクーペで数々のイベントに参加した後、'70年代末にイギリスのタルボット・チームに移り、ギ・フレクランのコ・ドライバーを務めています。しかし、彼の目標は、自分自身でチームを作り、自らの専用マシーンでWRCに参戦することだったのです。ジャン・トッドは、この構想をプジョーモータースポーツの部門責任者に打ち明け、当時のプジョー社長である「ジャン・ポワロー」の耳に入りました。そして、1981年10月、プジョーのコンペティション部門のマネージャーになったのです。それと同時にプジョーモータースポーツ部門の名前を変更し、Peugeot-Talbot-Sport=PTS(プジョー・タルボ・スポール)が誕生したのです。
当時のWRCで、タルボット・サンビーム・ロータスで活躍していた為、当時活躍していたブランドイメージをそのまま取り入れ、「タルボ」の名前がついたんだそうです。
そして、ジャン・トッド率いるプジョー・タルボ・スポールは、当時のWRCでの地位を揺るがないものとした「205ターボ16」を完成したんです。
明日は、いよいよWRC205ターボ16をご紹介します。