第6章 プジョーとモータースポーツの歴史1、【世界初の自動車レース(パリ~ルーアン)】● 史上初のモータースポーツ「パリ~ルーアン」で優勝を飾ったプジョー1891年9月
アルマンがより多くのプジョー車を販売する為には、宣伝活動が必要だと考ました。そこで、フランスの新聞社ル・プティ・ジュルナルが主催した「パリ~ブレスト~パリ」1200kmの自転車レース「ツール・ド・フランス」に、プジョーは伴走車としてプジョー初のガソリンエンジン搭載車「クアドリシクル」を1台参加させることとなったのです。
クアドリシクルエンジン通称: フェニックス(ダイムラー製)
565ccのV型水冷2気筒、2HP/1000rpm
このことが、後に多大な影響を与えることになろうとは、アルマン自身も驚いたことでしょう。それは、この「ツールド・フランス」に参加させたクアドリシクルが、なんと無故障で完走した事に始まります。そして、その走りを見た主催者側が、クルマでもレースができるのでは?と考えたからなんです。そして、なんと3年後の7月に、「パリ~ルーアン」の126kmを舞台として、世界初の自動車による競技が開かれ、自動車レースの幕開となりました。
パリ~ルーアン間126kmのレースに参加したのは、もちろん「プジョー」「パナール・バッソール」などのガソリンエンジン搭載車、そして、ド・ディオン、セルポレなどの蒸気自動車(構造は、蒸気機関車と同じようなもの)も参戦しました。結果としては、トップでゴールしたのはド・ディオンの蒸気トラクター。しかし、今でいうレギュレーション違反?にあたる「ドライバーだけではなく、別に機関手も必要」という理由から失格。(レース前から判らなかったのか不思議?)よって、2番手にゴールしたプジョーが繰り上げ1位となり、結果的にプジョーは、史上初のモータースポーツで優勝を果たすという快挙を成し遂げました。2位となったのはパナール・ルバッソー。ガソリンエンジン車で栄誉を分けた形となりました。
翌年の1895年6月「パリ~ボルドー~パリ」でもプジョーのフェートンが優勝しました。しかし、創世期といわれる時代に活躍を続けたプジョーですが、1905年まで実用車の生産に専念することを決定した為、このレースを以てプジョーはモータースポーツ活動をひとまず終了することになりました。