アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

ライオンの記憶 【世界初の自動車レース】

[2008/12/27]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
ライオンの記憶 【世界初の自動車レース】
年末・年始の特集として、【プジョーとモータースポーツの歴史】を10回に渡りご紹介していきます。よろしくお願いします。(Peugeot History)


プジョーとモータースポーツの歴史は、プジョーの圧倒的な歴史でもあります。

世界初のレースを制したプジョー。

自動車レース界もまた、プジョーから始まったのです。
ライオンの記憶 【世界初の自動車レース】
第6章 プジョーとモータースポーツの歴史

1、【世界初の自動車レース(パリ~ルーアン)】

● 史上初のモータースポーツ「パリ~ルーアン」で優勝を飾ったプジョー

1891年9月

アルマンがより多くのプジョー車を販売する為には、宣伝活動が必要だと考ました。そこで、フランスの新聞社ル・プティ・ジュルナルが主催した「パリ~ブレスト~パリ」1200kmの自転車レース「ツール・ド・フランス」に、プジョーは伴走車としてプジョー初のガソリンエンジン搭載車「クアドリシクル」を1台参加させることとなったのです。

通称 フェニックスクアドリシクルエンジン
通称: フェニックス(ダイムラー製)
565ccのV型水冷2気筒、2HP/1000rpm

このことが、後に多大な影響を与えることになろうとは、アルマン自身も驚いたことでしょう。それは、この「ツールド・フランス」に参加させたクアドリシクルが、なんと無故障で完走した事に始まります。そして、その走りを見た主催者側が、クルマでもレースができるのでは?と考えたからなんです。そして、なんと3年後の7月に、「パリ~ルーアン」の126kmを舞台として、世界初の自動車による競技が開かれ、自動車レースの幕開となりました。

パリ~ルーアン間126kmのレースに参加したのは、もちろん「プジョー」「パナール・バッソール」などのガソリンエンジン搭載車、そして、ド・ディオン、セルポレなどの蒸気自動車(構造は、蒸気機関車と同じようなもの)も参戦しました。結果としては、トップでゴールしたのはド・ディオンの蒸気トラクター。しかし、今でいうレギュレーション違反?にあたる「ドライバーだけではなく、別に機関手も必要」という理由から失格。(レース前から判らなかったのか不思議?)よって、2番手にゴールしたプジョーが繰り上げ1位となり、結果的にプジョーは、史上初のモータースポーツで優勝を果たすという快挙を成し遂げました。2位となったのはパナール・ルバッソー。ガソリンエンジン車で栄誉を分けた形となりました。

フェートン翌年の1895年6月「パリ~ボルドー~パリ」でもプジョーのフェートンが優勝しました。しかし、創世期といわれる時代に活躍を続けたプジョーですが、1905年まで実用車の生産に専念することを決定した為、このレースを以てプジョーはモータースポーツ活動をひとまず終了することになりました。

ライオンの記憶 【世界初の自動車レース】
● リオン・プジョー

20世紀に入り“もう一つのプジョー”といわれる「リオン・プジョー」が参戦しましています。リオン・プジョーは、1905年クープ・デ・ロトに初めてレースに参戦。そして、4年後には2位に入賞するまでになっていました。

ライバル会社から優秀なエンジニアを呼び寄せ、1912年世界初のDOHC4バルブ・エンジンを積んだレーシングカーを完成させています。いまでは普通に車のエンジンとして使われているDOHC 4バルブエンジンを、世界で初めて造ったのもプジョーだったんです。最高出力148HP/2200r.p.mで、当時としては驚くべきパワーを誇っていました。もちろんこの年のACFグランプリでの優勝。そして、タルガ・フローリオやインディー500マイルなど多くのレースに勝利しました。

しかし、このDOHCエンジンを積んだグランプリ・カーを最後に、しばらくの間レーシングカーを制作するのをやめてしまっています。しかし、量産車をベースとした車両のみのモータースポーツへの参戦はその後も行われました。

だるま・スポール当時有名なのが、402DS(ダルマ・スポール)のル・マン24時間レースへ参戦したことでしょう。ノーマルの402は55HPだったものを82HPへ引き上げ、1991cc4気筒OHVエンジンとロードスター・ボディーで、1937年のル・マンでは総合7.8.10位。翌年は総合5位、2㍑クラスでは優勝という素晴らしい結果を残しました。

ブガッティやアルファロメオに混じってのこの成績は、賞賛される成績だったそうです。