◎ 佐世保市の針尾に3本ものデッカイ!煙突のような塔が西海橋からもしっかり見えます。あれは、いったい何だろう?早速、行ってみました。長崎方面から西海橋を渡り佐世保方面へ!コンビニエンス・ストア(右側)の先を左に曲がって、2~3分ぐらい車で走ると、みるみるとこのコンクリート塔が近づいてきます。
そして、近くまで来て・・・・・・・あれ?入口が無い!
こんなに有名な塔なので、どこかに案内看板ぐらいでているのでは?と思い探してみるけど・・・やっぱり無い!
目の前に巨大な塔があるのに不思議です。
そうです。見つからないのです。入口が・・・・・。通じる階段らしきものはあるのですが、繋がっているかどうか車の中からでは確認がとれません。さすがに、これだけ大きい塔なので、どこかにあるはず!
そして、このコンクリート塔の周りをぐるぐる車で回っていると、畑の間に車がやっと1台ぐらい入る道を発見!塔に一直線に伸びています。先で、Uターンできることを祈りつつ・・・・・。
すると、なんとか近くまでいけました。しかし、そこから道がない!っていうか、山の中・・・。仕方なく車を止めてを降り、山の獣道?を草をかき分け道なき道を進みました。すると!目の前にコンクリート塔がドド~ンと姿を現したではありませんか!
うひょ~~~~!デカッ!
なんと!そのコンクリート塔は台座も何もなく、草っぱらにどど~ん!といきなり地面から生えています。まるで、大きい煙突が大地に突き刺さっているという表現がピッタリです。
上を見上げてみると、空の遥か彼方まで続いているようにみえました。
なんか、ドラゴンボールのカリン塔を思い出しましたね(笑)。
しかし、有名な・・・・と思っていた私は、あまりに何にもなかったのでかなり拍子抜けでしたね。
そこには、ちょっとした休憩所?ともいえないような屋根付きベンチがあるだけです。それも草ボウボウ!手入れなんてものは、かなりの期間に渡り放置されていると感じました。
この塔は、以前取り壊すかどうかで問題となって残されることとなり、歴史的にってニュースで言ってたのを記憶しています。ですから、もっとちゃんと整備されているのかと思っていました。せめて、この塔の説明の看板ぐらいほしかったですね~。高さがどうとか、どうして作られたとか、当時の作った人の秘話とか・・・・。
仕方なく、いろいろと帰ってから調べてみることにしました。
◎ 針尾電信所【コンクリート塔】このコンクリート塔は、旧大日本帝国海軍の指令のもと針尾電信所として大正7年(1918)~大正11年(1922)にかけて3基建造されています。
1941年12月2日に連合艦隊旗艦「長門」から発せられた太平洋戦争開戦といわれる真珠湾攻撃の有名な暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を伝達した電波塔だとされています。実際には、この電波塔だけでは無く、日本の数か所から伝達したみたいですが。。。また、「トラ・トラ・トラ・我奇襲に成功せり!」って言葉もこの電波塔が受信したとかいう話もありました。
この針尾のコンクリート塔(鉄筋コンクリート製)の高さは、135m(1号基、2号基)、137m(3号基)。基部の直径12.12m、周囲は 33mという巨大なもので、その3本の配置は、一辺が300mの正三角形になっています。ちなみに、私が行ったのは写真のコンクリート塔は、後からわかったのですが、どうも3号基のようです。
戦後は、昭和23年(1948年)5月に海上保安庁発足にともない佐世保海上保部の管轄となりました。
その後、このコンクリート塔は、海難通信などの海上保安業務を行っていましたが、平成9年(1997年)にその役目が終わることとなりました。この塔の老朽化の心配もあり、取り壊すか否かで議論されましたが、あまりにも頑丈に作られているため、取り壊すのにも多大な費用を要することと、歴史的な建造物であるということから取り壊さないで現在にいたっているとのことです。