今まで、第二次世界大戦前の歴史やクルマをご紹介して参りました。
今回からは、戦後のプジョーをご紹介して参ります。
○ プジョー初のモノコックボディー採用
1948年登場の戦後初の新型車、「Peugeot 203」は、今までのフレーム構造からモノコックボディを採用しました。新型4気筒エンジンや新設計リヤサスペンションなど、先進的な装備を採用し多くのモータースポーツで活躍し、プジョー史上に残るロングセラーとなりました。
今回は、そんな「Peugeot 203」をご紹介します。
○ 「Peugeot 203」第2次大戦後のプジョーの初のモデル
1945年。大戦が終わってすぐに、プジョーは、戦前から造っていた202の生産を始めました。そして、戦後初のプジョーの新型モデルが、1948年10月のパリ・サロンで発表されます。戦後のプジョーの希望を担ったクルマが「Peugeot 203」なのです。
この203のスタイルは、まるでオウムのくちばしを連想させるようなボンネットの形をしており、当時のアメ車のデザインとよく似ています。また、他のメーカーに若干遅れをとっていたモノコック・ボディーを、プジョー車で初めて採用。ボディーとフェンダーの一体化も進んでいます。
ボディーサイズとしては、全長4350mm×全幅1620mm×全高1500m、車両重量910kgとし、202より若干大きい車となっていました。サスペンションは、フロントに関しては、戦前の車両と同じ横置リーフ/独立懸架。リアには、202と同じトルク・チューブ・ドライブ方式だが、スプリングがリーフから、コイルへと変更されています。
新開発のエンジンは、排気量1290cc、4気筒OHV(長いロッカー・アームと2本のロッカー・シャフトを採用で、バルブ配置がクロス・フォー)を搭載。また、シリンダー・ヘッド内にインテーク・マニフォールドを内臓し、クロス・フォーなのですが、吸排気が同一方向からなっていました。そのエンジンは、ソレックス32PBICキャブレターとあいまって、最高出力42HP/4500r.p.m / 最大トルク8.2kg-m/2500r.p.mを発揮しています。また、トランスミッションは、4速をオーバードライブとし、最高速度は115km/hを記録していましたが、それとともに燃費は、13,3km/ℓと経済性の高い車だったといえます。
デビューしたときのグレードとしては、アフェールとルクスの2グレードを持つベルリーヌと、リア・とウィンドーがオープンになるデクブラブル(découvable)の3タイプでした。
そして、1950年7月に、リムジン・ファミリアール(ステーションワゴン/6人乗,3列シート)を追加しています。このファミリアールは、全長4530mm×全幅1620mm×全高1600mmとベルリーヌより全長で180mm、全高で100mm大きくなっていました。同じボディーで4人乗りのリムジン・コメルシアル、2ドアのフルゴネット、フルゴネットの後ろに荷台を架装しているピックアップもあったそうです。
また、1951年10月には、カブリオレ(2ドア/2シーター)も造られています。このカブリオレの寸法は、ベルリーヌと同じとされていましたが、全高のみ1470mmとなり、僅かながら低く作られていました。しかし、ベルリーヌと比べると、キャビンが小さく、リアがノッチ・バックとなっています。車両重量は、ベルリーヌより少し重い940kg。そして1952年10月には、クーペモデルも登場しています。このクーペモデルは、カブリオレをベースとし、車両重量は937kgだったそうです。
1954年9月に、マイナーチェンジを受けて、「203C」と名前が改められました。グレードとしては、デクブラブルが無くなったのですが、ほぼ同じグレードを保持しています。新しくなった点は、ギアボックスが新設計になったことと、サスペンションの改良でした。(エンジンの変更は無い)
1955年1月に、カブリオレの上級グレードとして、グラン・ルクス(コラム式の3段+ODの4段ギアボックス)を追加しています。しかし、この1955年には、この203の後継モデルとも言えるであろう403を発表します。しかしながらこの203は、生産が中止されること無く生産を続行され、1959年にはベルリーヌにグラン・ルクスを追加するなど、デビューから11年4ヶ月の永きに渡って生産されることになりました。こんなに長くひとつのモデルを造ったのは、プジョーにとって初めてのことであり、この203の生産台数は、685,828台にも上っています。