大きな前輪の1メートル以上うえについたサドルに、誇らしげに胸を張って乗っている山高帽をかぶった紳士。それから、120年余り・・・
アルマン・プジョーが情熱を持って立ち上げたプジョー。そして、その伝統を受け継いできたプジョーの歴史。
いよいよ、プジョー二輪車の歴史の最終話となります。
○ 近代のプジョー二輪車オートバイの分野では、戦後すぐに175ccの生産をはじめました。1953年にはやっと250ccの垂直ツインカム装備の356TBを発表しています。この頃のプジョーは、スポーツタイプのオートバイの、1952年のボル・ドール(2,149キロの記録を樹立)、175ccクラスでのフランス戦勝利ぐらいで、これといった活躍はありませんでした。しいて言うなら、175ccグランスポーツ(レース用マシンから直接生まれた?)がこの時に販売されたぐらいでしょうか。
1970年になると、シクル・プジョー社は、30車種12色のモデルを用意しています。この頃のプジョー社には、従業員数が、自転車製造部門で1000人以上、バイク製造部門で約1500人の合計4300人が働いていました。当時、プジョー社はフランス国内ではモトベカンヌにつぐ2番目の自転車メーカーで、1/3以上の市場シェアを占めていました。バイク部門でもモトベカンヌにつぐ2番目のメーカーであり、1/4以上の市場シェアを確保。当時、ソレックスを上回る実績を誇っていました。
カタログもでるとしては、その頃、子供用自転車からプロレーサー用自転車、昔風の自転車、輸出向けの特別モデルまであり、バイクは種々のグループに分かれた23モデルがありました。若い人に人気があったスポーツタイプの3速BBスポーツや二人乗りタイプ、ハンドルが自由に調整することが出来た101、102、103、104シリーズのクラシックタイプやアフリカ、アジアの道路状況にあわせた特殊モデルなどさまざまなタイプを用意しています。