● 「道具を使う手仕事」当時、“ 道具を使う手仕事 ”は、学校の国語、数学といった教科と同様に行われていました。フランス全ての学校が当初から、工具収納棚、道具飾り板、道具箱などを備えていたそうです。
プジョー社は、この成功を期に、探検家用、植民地入植者用、旅行者用、パイプ喫煙者用、婦人用、1930年代には、TSF(無線電話機、ラジオの祖先といわれる)の微妙な調整用に新たな一式なども揃えて製造販売しています。
● コーヒーミル・ペパーミルの誕生工具類は、男性が携わっていた仕事の分野へ徐々に女性が進出しはじめ、女性も日常用具にプジョー製品を選び始めるようになりました。
そして、1840年になると、プジョーの「コーヒーミル」が一般の台所に登場します。鋳物製で、ハンドルが1~2つ付いているもので、主に食料品店や喫茶店に置かれています。このコーヒーミルは、木製、ブリキ製、ステンレス製、壁掛け式、手動式などから1931年に誕生した電気式などさまざまなコーヒーミルが登場しています。
特に、ハンドルが取り外し可能なものは、後にプジョー社が特許を取得した切削加工技術によるプジョーの刃物の象徴とも言えるペパーミルの考案に繋がって行きます。
このペパーミルは、ブナや銘木製、銀製、ベークライト製などがあり、後にプレキシグラス製の物も製造されています。この技術レベルは現代でも高く評価され、1996年には、年間100万個以上も世界中で購入されています。
● さまざまなプジョー製品の誕生プジョー社は、工具、刃物などさまざまな製品を製造販売していましたが、服飾もまた重要な位置を占める製品でした。
傘の骨や鋼rセットの柔軟な芯なども製造しています。第二帝政時代になると、スカートの膨らみをもたせる柔らかくて軽い鯨骨のクリノリン、その他には、ランジェリー、既製服、刺繍などの分野にもライオンブランドとして女性らしさと優しさを演出。1867年になると、プジョー製の縫製ミシンが発売されています。
1830年代に、プジョー製フライヤー、ボビン保持器、スラスト軸受などの数々の紡績機用部品などをオーダンクール近辺で製造されています。これらはプジョー社のノウハウの始まりと言えるでしょう。後にテーブル式ミシンで特許を取得しています。このミシンは、実用品と装飾の要素(優雅な曲線と繊細な装飾が施されています)の両方を兼ね備え、プジョーミシンの黄金期を造り出しました。当時、ミシン製造に700人が従事し、第二次世界大戦前夜まで製造が続けられていました。
また、プジョー社は、アイロンなどの製作も行っています。女性は、この時代になると、19世紀半ばの炭アイロンを使うことも無くなり、プジョー製の電気コテ、アイロンのお陰で火傷することも無くなり、1920年代には洗濯機が登場し、女性の日常の仕事が軽減されていくことになります。1960年代には、最初の家庭用ミキサー「プジミックス」などの家電製品が多く発売されています。
プジョーは、ガスレンジ、電気レンジに関しては、手動または、オプションに油圧モーターのついた二つの都市型モデル、薪使用もしくは石油使用の田舎向けモデル、高性能なホテル用モデルなど、多くのモデルも開発しています。また、後に必需品となる洗濯絞り器、プジョー製ラジオなどレジャー家具類も発表されています。
● プジョーの絶え間ない発明の精神と技術が生み出した進歩19世紀~20世紀の日常生活の向上に大いに貢献してきたプジョーは、手工業職や日曜大工をする人たちにとっても大いに貢献しています。
ドリル、ドライバー、植木鋏などの電動工具部門は、今でもプジョーの自動車部門以外での数少ない活発な業務の一つとなっています。プジョーは、以外にも?サンテチエンヌで銃砲類を製造しています。また、第一次世界大戦中には、、銃剣、砲弾、飛行機エンジン、戦車用エンジンなども盛んに製造しています。
人々の生活が大幅に変わったとされるこの二世紀。そのテクノロジーの急激な進歩とプジョー工業の歩みは、技術革命と共に歩み、共に進歩してきました。
プジョー社の活動。それが示す「プジョーの歴史」は、設計者もクライアントも各自の立場を認識し、それぞれの役割を積極的に果たし、独創的な世界を構築するという姿と言えるのではないでしょうか。
1850年には、進歩的な従業員の為の基金年金制度、無料医療保障の相互組合、対事故保険基金などがすでに確立され、当時すでに「セキュリティー・ソシアル(フランスにおける社会保障制度)」が誕生したと同時に、従業員用の一戸建てもしくは共同住宅の建設、協同組合、学校制度、給食、病院、そして、集会、読書、会話や娯楽などのが目的の労働者サークルなども設立されています。
「粉挽きプジョー History」了
参考文献:ロナルド・イルレ出版 「PEUGEOT ライオンの紋章」