アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
Googleマップでみる

TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

粉挽きプジョー History

[2008/09/13]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
粉挽きプジョー History
プジョーの歴史を語る上で、プジョーの刃物の歴史を忘れるわけにはいきません。

ご存知のライオンのエンブレムの誕生もこの刃物の歴史から生まれました。

そして、プジョーの起源ともいえる「粉挽きプジョー」と呼ばれた水車小屋。
「ル・グラン(どんぐり)」という愛称で親しまれていました。

今回は、そんなプジョーの“ 車 ”ではない、「刃物の歴史」をお伝えしたいと思います。
● 水車小屋の誕生

ル・グラン

プジョー社の祖先は、フランス東部で、スイス国境の近くのドゥー川の支流の小さな村「通称:スー・クラテ」という場所で、水車小屋で粉挽きを生業としていました。1793年「ル・グラン(どんぐり)」という愛称の水車小屋が建造されています。


● 冷間圧延鋼の製造工場設立から生まれたライオンマーク

1810年に、ジャン・ピエール・プジョーとジャン・フレデリック・プジョーの兄弟が、「ル・グラン」を改築し、冷間圧延鋼の製造工場を建てました。この工場がプジョー社の始まりとされています。その後、「水車・自動車・二輪車」などと、「粉挽き・コーヒー挽き・胡椒挽き」などプジョーとは水車の因縁でしょうか不思議な関係にあるようです。

この工場では、薄鋼帯やバネ製造が主体で、手工業が盛んだったスイスやモンベリヤールの町に近くだったことやジャピー社のような時計製造分野の先駆者との密接な関係もあり、プジョー社の誕生は順調でした。

鋸刃

1818年、冷間圧延の新技術で「特許」を取ることに成功。これを期に鋸刃の製造が始まります。この鋸刃こそが今のプジョーの基礎となったのです。このことにより、僅か6年後にはエリモンクールに圧延機を7台備えた工場を新設。70人の工員を雇い、日に100㌔から150㌔の鋼を加工し、トルコまで製品を輸出するようになりました。

これが、プジョーが国際工業界に地歩を築く第一歩となっています。

プジョーの鋸のしなやかな刃、それに並ぶ刃の堅牢さ、切れ味のよさを見ると獲物を捕らえるライオンの強靭な身体と無慈悲な顎に生えた歯を連想させます。このことから、1850年に自社製品の鋸の刃に商標としてのライオンマークをつけ始め、1858年にライオンマークを登録商標としています。この時から、プジョー兄弟社のシンボルとなっています。


● プジョーの紋章

プジョー全製品についているライオンの紋章は、最高級の鋼-溶鋼-を使用していることを示します。焼きいれ鋼を使った製品には、三日月マーク。半焼入れの鋼には、手のマーク。それ以外の種類の鋼には、星のマークがついています。

かなずち

この他に製品によって、独自のマークもつけることもありました。1860年まで鋼鉄製のカンナの刃には、ナポレオンの愛称「ちびの伍長」マークがつけられ、1875年~1880年に製造された鋸の刃には、彗星マーク。農業用のフォーク、左官さん用のコテには、鹿のマーク。船体錆びかきには、錨マーク。椅子製造のための平鉋には目のマーク。馬の蹄を削るナイフは、馬マークなどがあります。

これらのマークは、それぞれの工具の材質と品質を明確に表し、プジョー・ジャクソン・エ・コンパニー社の製品につけられています。圧延鋼製品には、十字架、王冠錨、星、鍛造鋼製品には、象、鐘、リスのマークが刻印されています。

* プジョー社製の鋼の製造は、宝飾細工用の小型の金槌、木こりの鎚鉾、白アスパラガス収穫用のナイフ、冒険家がつかった伐採刀、園芸家用の毛虫駆除鋏、砂糖大根を引き抜くための鈎付熊手、桶屋の画柄の鉋、指物師の曲がり柄ドリル・えぐり鉋、軍馬用の轡・毛刈鋏、肉屋の四枚刃の肉きり包丁、コーヒー豆見本抜き取り検査の刺、香辛料販売店の固形砂糖をカット用の砂糖鋏、床屋用の剃刀、安全剃刀の刃など、さまざまな道具が作られています。
粉挽きプジョー History
● 「道具を使う手仕事」

当時、“ 道具を使う手仕事 ”は、学校の国語、数学といった教科と同様に行われていました。フランス全ての学校が当初から、工具収納棚、道具飾り板、道具箱などを備えていたそうです。
プジョー社は、この成功を期に、探検家用、植民地入植者用、旅行者用、パイプ喫煙者用、婦人用、1930年代には、TSF(無線電話機、ラジオの祖先といわれる)の微妙な調整用に新たな一式なども揃えて製造販売しています。


● コーヒーミル・ペパーミルの誕生

工具類は、男性が携わっていた仕事の分野へ徐々に女性が進出しはじめ、女性も日常用具にプジョー製品を選び始めるようになりました。

コーヒーミル

そして、1840年になると、プジョーの「コーヒーミル」が一般の台所に登場します。鋳物製で、ハンドルが1~2つ付いているもので、主に食料品店や喫茶店に置かれています。このコーヒーミルは、木製、ブリキ製、ステンレス製、壁掛け式、手動式などから1931年に誕生した電気式などさまざまなコーヒーミルが登場しています。

特に、ハンドルが取り外し可能なものは、後にプジョー社が特許を取得した切削加工技術によるプジョーの刃物の象徴とも言えるペパーミルの考案に繋がって行きます。

このペパーミルは、ブナや銘木製、銀製、ベークライト製などがあり、後にプレキシグラス製の物も製造されています。この技術レベルは現代でも高く評価され、1996年には、年間100万個以上も世界中で購入されています。


● さまざまなプジョー製品の誕生

プジョー社は、工具、刃物などさまざまな製品を製造販売していましたが、服飾もまた重要な位置を占める製品でした。
傘の骨や鋼rセットの柔軟な芯なども製造しています。第二帝政時代になると、スカートの膨らみをもたせる柔らかくて軽い鯨骨のクリノリン、その他には、ランジェリー、既製服、刺繍などの分野にもライオンブランドとして女性らしさと優しさを演出。1867年になると、プジョー製の縫製ミシンが発売されています。

1830年代に、プジョー製フライヤー、ボビン保持器、スラスト軸受などの数々の紡績機用部品などをオーダンクール近辺で製造されています。これらはプジョー社のノウハウの始まりと言えるでしょう。後にテーブル式ミシンで特許を取得しています。このミシンは、実用品と装飾の要素(優雅な曲線と繊細な装飾が施されています)の両方を兼ね備え、プジョーミシンの黄金期を造り出しました。当時、ミシン製造に700人が従事し、第二次世界大戦前夜まで製造が続けられていました。

また、プジョー社は、アイロンなどの製作も行っています。女性は、この時代になると、19世紀半ばの炭アイロンを使うことも無くなり、プジョー製の電気コテ、アイロンのお陰で火傷することも無くなり、1920年代には洗濯機が登場し、女性の日常の仕事が軽減されていくことになります。1960年代には、最初の家庭用ミキサー「プジミックス」などの家電製品が多く発売されています。

プジョーは、ガスレンジ、電気レンジに関しては、手動または、オプションに油圧モーターのついた二つの都市型モデル、薪使用もしくは石油使用の田舎向けモデル、高性能なホテル用モデルなど、多くのモデルも開発しています。また、後に必需品となる洗濯絞り器、プジョー製ラジオなどレジャー家具類も発表されています。


● プジョーの絶え間ない発明の精神と技術が生み出した進歩

19世紀~20世紀の日常生活の向上に大いに貢献してきたプジョーは、手工業職や日曜大工をする人たちにとっても大いに貢献しています。
ドリル、ドライバー、植木鋏などの電動工具部門は、今でもプジョーの自動車部門以外での数少ない活発な業務の一つとなっています。プジョーは、以外にも?サンテチエンヌで銃砲類を製造しています。また、第一次世界大戦中には、、銃剣、砲弾、飛行機エンジン、戦車用エンジンなども盛んに製造しています。


人々の生活が大幅に変わったとされるこの二世紀。そのテクノロジーの急激な進歩とプジョー工業の歩みは、技術革命と共に歩み、共に進歩してきました。
プジョー社の活動。それが示す「プジョーの歴史」は、設計者もクライアントも各自の立場を認識し、それぞれの役割を積極的に果たし、独創的な世界を構築するという姿と言えるのではないでしょうか。

1850年には、進歩的な従業員の為の基金年金制度、無料医療保障の相互組合、対事故保険基金などがすでに確立され、当時すでに「セキュリティー・ソシアル(フランスにおける社会保障制度)」が誕生したと同時に、従業員用の一戸建てもしくは共同住宅の建設、協同組合、学校制度、給食、病院、そして、集会、読書、会話や娯楽などのが目的の労働者サークルなども設立されています。


「粉挽きプジョー History」了

参考文献:ロナルド・イルレ出版 「PEUGEOT ライオンの紋章」