アクセスマップ

プジョー長崎

住所〒859-0401
長崎県諌早市多良見町化屋1870
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TEL0957-27-2233

営業時間10:00-18:00 

定休日毎週水曜日、第1・第3火曜日 (但し、年末年始・GW・お盆期間は定休日以外にもお休みを頂く場合がございます)

アクセス方法*多良見IC・長崎バイパス(多良見)を出て諌早方面へ車で約5分。
もしくは諌早ICから、長崎方面へ車で10分。
(国道34号線沿い)

*JR喜々津駅から国道長崎方面へ徒歩5分。

*慈恵病院バス停

スタッフブログ

リオンプジョー

[2008/09/06]L'avis du lion.【ライオンの囁き】   Club PN
リオンプジョー
1895年からモータースポーツの世界を離れていたプジョーですが、アルマンが独立してしばらくたった後、入れ替わるようにしてリオン・プジョー(実用的な小型車を生産)の時代となりました。


そして、そのリオン・プジョーが、レースを積極的に取り組むようになったのです。


「リオン・プジョー/自動車レース」

リオン・プジョーのドライバー兼技術者のジュール・グーとジョルジュ・ボワロの2人の貢献が高く、リオン・プジョーに多数の勝利がもたらされました。

1905年に開催されたフランス雑誌ロト主催の小型車レース「クープ・デ・ロト」から参戦しました。参戦当初は、3位という順位に甘んじていたプジョーは、1909年、ジュール・グーの駆るモデルが2位となり、翌年もイスパノ・スイザに次いで、2位になりました。しかし、この年で、イスパノ・スイザは、退いてしまいます。そこで、優勝することを目標としているグーとボワロは、1909年に優勝したイスパノ・スイザのエンジニアなどの協力を得て、1912年のAFCグランプリに向けて、レーシングカーの開発をすすめました。開発された車は、吸排気それぞれ2つのバルブが45゜の傾斜角をもって配置。

1912 ACF


世界初のDOHC機構を持ったφ110×200mmの7,598ccのエンジンで、開発当初は、148HP/2200r.p.mでした。

そして、改良され、最終的には、178HPとなり、最高速度も190km/hを記録しました。

L76


プジョーは、この車で、1912年、念願のACFグランプリで勝利をはじめとする様々なレースでの優勝を手に入れることになりました。

1913年には、インディアナポリス500マイル・レースで、ヨーロッパ車初の勝利も獲得しました。その後、その高性能DOHCをのせたタルガ・フローリオで勝利をあげ、その活動は、1919年までレース活動は、活発に行われたそうです。


リオンプジョー
○ べべの後継モデル「クアドリレット」

世界第一次対戦中は、プジョーは、軍事需要に従事することになる。第一次大戦が終了とすぐプジョーは戦時中実用車の生産を開始しました。そして、1913年にデビューさせていた、タイプ153の改良版を送り出しました。
そして、2年後の1921年に、25HPの大型車156とべべの後継モデル「タイプ161“クアドリレット(Quadrillette)」を送り出したのです。縦に一列に並ぶ?前後1名の2シーターの小型車でした。全長2954mm×全幅1166mm×全高1450mmで、667cc直列4気筒。最高出力4HP/2000r.p.m、3速で、最高速度は、55km~60km/hという非力ともいえるエンジンを搭載していました。しかし、このクアドリレットは、9,900フランという値段の安さと燃費のよさで、終戦直後のフランスにとっては、まさに打って付けの車で、2年間の生産台数は、3500台を記録しています。

1922年には、タイプ172と名を変えたが、基本的な構造は、そのまま採用されています。

1927年のパリ・サロンで、タイプ183「ドゥーズ・シス(12-Six)」を発表しました。1991ccの6気筒エンジンを搭載し、最高出力は、38HP/3000r.p.mを発揮。後に42HP、47HPと改良され、このタイプの後に登場するプジョーの伝統となった「3桁数字 01シリーズ」にかなり近いデザインとなってきています。

そして、1929年。いよいよ、現在でもプジョーの定番?とも言える3桁シリーズの第1弾と言える「201」の誕生となっていくのです。



「プジョーの歴史:第1章 プジョーの誕生」了